グレーゾーン

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

仕事の合間に、『<スピリチュアル>はなぜ流行るのか』磯村健太郎著を読む。
宗教でもなく、霊性でもなく、なぜスピリチュアルなのか。
スピリチュアルブームを探っているのだが、予想以上によかった(失礼)。


「スピリチュアル文化が展開した背景には、近代をささえていた「大きな物語」が、
1960〜70年代から後退していったことがある。それと入れ替わるように、
欧米のニューエイジ・日本の精神世界が登場した。一人ひとりにとっての
「小さな物語」たちが必要とされる時代が始まったのだ。「宗教」には
違和感をもつが、近代合理主義だけを信奉する気にもなれない。
そのような人びとは、2つのあいだにひろがるグレーゾーン、
つまりスピリチュアルな世界観にひかれている」


オウム真理教も、ブログも、SNSも、「千の風になって」も、
ほぼ日刊イトイ新聞』も、ケータイも、江原啓之も、ロハスも、
トルマリンも、なんとか還元水も、映画『地球交響曲』も、エコも、
アロマテラピーも、ヨガも、ライフハックなどの自己啓発本も、
スピリチュアルな世界で括られてしまう。


スピリチュアルな世界は「グレーゾーン」、
白に近いものから、黒に近いものから、玉石混交。
イワシの頭も信心からってヤツなのかな。
「癒されたい」「救われたい」「つながりたい」そう希求はするけど、
修行とかつらかったり、痛いのはいやって、
なんとなくコンビニ志向というのか、ご都合主義。


「共同体はほどけて」しまいつつあって、その代替物となるのが、
「一人ひとりにとっての「小さな物語」」なのだ。
「似た価値観・感性をもつなかまとのあいだに立ち現れる共同性」である。

「コミュニティは、ほどけつつ、むすばれるという複雑な現象を見せている。
しかし、−略−結局は逃げようのない<私>にもどってこなくてはならない。
そのことをわかっているのは、孤独な彼ら・彼女ら自身なのではないだろうか」

付け加えるなら、きみであり、ぼくもだ。
飲み会で盛り上がって、人気のない自分の部屋に帰ったときの冷えた空気とか。


小さな現象ばかりに、目を奪われがちだが、時折、この本のように、
対象を突き放して、ある程度の距離をとる、あるいは俯瞰で眺められたらなと思う。


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