のがれられない日常

海を流れる河―石原吉郎評論集

海を流れる河―石原吉郎評論集

風とマシュマロの国

風とマシュマロの国

『海を流れる河 石原吉郎評論集』『風とマシュマロの国』ふかわりょう著を読む。

『海を流れる河』から引用-1。

「放浪とは、いわば自己の<位置>を進んで放棄することである。
日常のただなかでみずからの位置を確かめつづけることが、
いわば生きることへの証しであるなら、その位置を進んで
放棄するという行為が、なんらかの決意なしに行われるはずはない」

『風とマシュマロの国』は、ふかわがリピーターとなって訪れている
アイスランド。その放浪記。
沢木耕太郎臭のする文体で記される一人旅。
ソローの『森の生活(ウォールデン)』にも、どことなく似ていて。
リア充オフタイム。
自分でコンピしたCDを流しながらレンタカーで走る。
荘厳なる風景。火山、氷河、荒野、風、マシュマロに見える無数の羊たち。

『海を流れる河』から引用-2。

「日常とはじつは、ささえても、ささえなくてもいいものである。
しかし、それをもし、ささえねばならぬとするなら、もはやそれは、
脱出してもしなくてもいいという安易な枠ではなくなる。
戦争が私に教えた唯一のことは、そのことである。いまにして思えば、
戦争は私に、日常をのがれることの不可能を教えた唯一の場であった。
いかに遠くへへだたろうと、どのような極限へ追いこまれようと、
そこで待ちうけているのはかならず日常である。なぜか。私たち自身が、
すでに日常そのものだからである」

ふかわが幸運にも季節外れで見ることができたオーロラ。
その神秘的な美しさ。
石原がラーゲリ(強制収容所)で見たオーロラ。
どちらも同じ日常。

石原にとって戦後が戦場だったようだ。
自分探しとかいうもんじゃなくて
喪失した自分、戻ってこない戦争にレイプされた人生、時間に
落とし前をつける意味で詩を書いたそうな。

凍土とタイガと大河を目にし、
日本の青い海を見ることを待ち焦がれていた石原。
最後は、どうやら酒の海に沈んでしまったようだ。

 

おれが忘れて来た男は
 たとえば耳鳴りが好きだ
耳鳴りのなかの たとえば
小さな岬が好きだ
火縄のようにいぶる匂いが好きで
空はいつでも その男の
 こちら側にある
風のように星がざわめく胸
 勲章のようにおれを恥じる男
おれに耳鳴りがはじまるとき
 そのとき不意に
 その男がはじまる

「耳鳴りのうた」一部引用

急激に右旋回しかねない
ヒステリックな男を総理大臣にすえている、この国。
いま一度、読まれていいぞ、石原吉郎の詩は。

 

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