小耳にはさむ

紙の本が亡びるとき?

紙の本が亡びるとき?


ちょっと小耳にはさんだ会話。


30代男性
「地上波なんて、まったく見ないですね。面白くないし。
スカパーをたまに見るかな。
地上波、見る人って中高年なんじゃないっすか」
番組改編時のこの頃、特にそう思う。


50代女性
「こないだ駅前で募集してたのよ、ええと、リクルートでえ。
会員になると、テレビの番組紹介とチラシを宅配してくれるんだって。
もう、新聞、要らないね。だって、テレビ欄しか読まないし。
ニュースはテレビで見りゃいいし」
ああ、このことか。
タウンマーケット


過渡期なのだろう。ただし、なべて過渡期といえば過渡期なわけで、
真に受けて騙されないように。
企画書に書く「現代はカオスの時代」ってのとおんなじ穴のムジナ。
過渡期つながりで『紙の本が亡びるとき?』前田塁著を読む。
ツリっぽいタイトル。
ま、いつか「紙の本」はなくなるかもしれない。
なくならないかもしれない。
いちばん大きいのは流通が代わるってことを再認識。


DTPが普及しはじめた頃、某デザイン事務所の社長から
データでやりとりするから、
版下がいらなくなったから場所も取らなくていいよ。と
いわれたことを思い出す。
ペーパーレスオフィスとか大々的に言ってる(た?)けど、
紙の使用量って減ってないんじゃないかな。


本がデータベース化されると、好き勝手に解体されたり、
コピペされて云々というが、
紙の本だって、読み手の脳内では好き勝手にバラバラにし、
コピペされている。