「元始フェミニストは「姐御」であった」

 

「姐御」の文化史 幕末から近代まで教科書が教えない女性史

 

傘を持つと雨が降らない。
傘を持たないと雨が降る。

『「姐御」の文化史』伊藤春奈著を読む。
 

「元始女性は太陽であった」

 

 
平塚らいてうの名言。ここだけ有名だが、続きがある。
 
「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」(出典元:小林登美枝・米田佐代子編『平塚らいてう評論集』(岩波文庫、一九八七年))

 ところが、男、男社会に屈しない、「月ではない」女性が日本にもいた。

それが「姐御」だと。
 
「元始フェミニストは「姐御」であった」。
 
なんて書くと叱責されそうだが。茶化してはいない。
 

「「女伊達・妖婦・毒婦・烈婦・娼婦」と「賢母・賢婦・聖母・処女」は対をなす正反対の女性像だが、いずれも儒教由来の理想像であり、男性が作り出した幻想に過ぎない」

 

 
男性からの女性の理想像、それはサイズの合わない服を無理やり着せられるようなもの。そんな服を脱ぎ捨てたのが、「姐御」たち。どんな「姐御」がいたのだろうか。

作者は江戸末期から現代まで姐御の生き方や主義を取りあげる。姐御と言っても、花魁、侠客の姐御(いまでいう極妻か)、火消の妻、芸者、実業家、女優など多彩。
 
宝塚歌劇の男役などに代表される男装の麗人、マニッシュ、ハンサムウーマン。
いまは「イケメン女子」というらしい。これもルーツは「平安時代の『とりかへばや物語』」(アニメ映画「君の名は。」の元祖)、「鎌倉前期『平家物語』の白拍子」とか。
 

「過渡期の女性が強さをまとうのは、近代以降、フェミニズムの波を乗りこなした女性たちをみてもあきらかだ。私たちが気づかなかっただけで、長い歴史を振り返れば似たような波は日本にも何度かあったのかもしれない。それに架空(フィクション)の強い女性たちに憧れるなんて、現代の女の子とまるで変わらない」

 表紙の小村雪岱の絵は「毒婦・高橋お伝」。ヒール、悪女として人気があったそうだ。

 
「拳銃をぶっ放す姐御の元祖、伏見直江」のスチール写真がカッコよすぎる。
 
「Let It Go~ありのままで~」は、トランスジェンダーを歌っているのかと思うと
また見方が変わってくる。
 
あ、そうそう、この本に出て来る映画『緋牡丹博徒』は、中学生の頃、おじさんに連れられて映画館で見た。藤純子扮するお竜さんが凛々しく美しかったのを覚えている。
 
チョン・ミョングァンの『鯨』、「姐御文学」で括れる。