新閨房哲学-見沢氏はかく語りき

 

 

『囚人狂時代』見沢知廉著を読む。

 

ただ単純に面白かった。かなり強烈にきた。作者の実体験に基づく手記なのだが、警察の取り調べや調書のまとめ方、刑務所のシステムや囚人人物列伝(ムショで見かけた有名人)など濃いのなんのって。

 

かつて安部譲二先生の書いたものがベストセラーになったが、あちらがユーモア&ペーソスなら、こちらのほうは毒というかブラック。経験者ならではのとんでもないエピソードがギッチギッチすし詰めになっていて、反体制の笑気ガスを大量に吸入させられた。やはり文学には悪や毒がないとつまらないゼ。

 

ミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』か『狂気の歴史』の中に、リベルタンという言葉が出てくる。自由人という意味なのだが、中世では思想犯などのリベルタンから精神病者まで、社会に放置しておくと危険な輩(やから)はいっしょくたにして、監獄の中に繋留したという。その代表的な人物が『閨房哲学』をものしたマルキ・ド・サドだろう。ところが本書を読むと、今も刑務所の中は基本的には、サド公爵の頃と変わらないような気がする。

 

子どもの時、「悪いことすると、牢屋に入れられちゃうよ」という親の脅し文句におびえたことがあるが、牢屋と一括りにさせられている拘置所と刑務所がドエライ差があることが認識させられた。

 

巻末の参考資料「受刑者の生活心得」ほかもすごく面白い。どこかで読んだ文体だと思ったら、生徒手帳に載っていた校則だった。似てるなんてもんじゃない。どっちがどっちかは知らないが、囚人も生徒もおカミから見たら同じなんだなということがよくわかる。

 

結論。やっぱり刑務所には入らないほうがいい。で、本書を成人式の記念品として新成人に進呈してはいかがなものかなと、マジで考えてしまった。

 

刑務所もの(?)といえば、花輪和一の漫画『刑務所の中』を読まれて感銘を受けた方はぜひ。

 

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