『勝手にしやがれ』雑感

 

 

ふと思う。映画、洋画のタイトルって、いつからそのままで使われるようになったんだろう。もう少し気の利いた日本語でタイトルをつれば、ヒットしそうなものもあるはずなのに。

 

もう時効だからいってしまうが、かつて、新卒のとき、某大手洋画配給会社の試験を
受けたことがある。一次試験は試写を見せられて、その感想文を書く。一次はクリア、二次試験は面接。最近、見て良かった映画を担当者に話すというものだったが、どうもシャイな青年だったぼくは、うまく熱く楽しくスピーチするすべを持ち合わせておらず、―プレゼン能力0―こともあろうにも『グッバイ・ガール』のリチャード・ドレイファスのマネをして終わったような気がする。お笑いオーディションではないので、二度とお呼びがかからなかったことはいうまでもない。

 

昔は、洋画のタイトルがいい日本語で意訳されていた。野口久光氏とか宣伝マンのコピーライティング的センスが抜群だったのだろう。いまは、そんな才能ある人がいないってことなのかな。

 

たとえば『息切れ(A Bout de Souffle)』。これでは、幾らゴダールとてヒットしなかったのではないだろうか。『勝手にしやがれ』、その映像から来る気分や当時の旬なフィーリングを意訳したものなのだろう。セリフの引用だったっけ。失念しました。後年、アメリカ映画でリメークされたときは、原題の英訳『ブレスレス』となっていた。

 

意訳されたタイトルでいいなと思うのは、『恋する惑星』かな。香港映画と金城武ブレイクのきっかけとなった作品だけど、うまいタイトルだ。これでヒットした。あとはB級C級になるけど『悪魔の毒々モンスター』。これは、ぼくには、思いつけない。いまでもクリシェとして『恋する~』ってのは、見かけることが多い。

 

タイトルは悩む。最近は、書名が曲名を引用したりすることもままある。逆もあったりして。イージーといえば、イージーかもしれない。『勝手にしやがれ』は、ジュリーのヒット曲にもあるし。阿久悠ってこのパターンが多いかもしれない。コピーライター的発想。パクリじゃないかって?引用っす、引用。

 

以前はポルノ映画で笑えるタイトルがあったりしたが、今はアダルトビデオか。『柔軟な発想法』なんて本を仏頂面して読むよりは、アダルトビデオのタイトルを何十本も考えるほうが、頭はきっと、やわらかくなるはず。

 

『影の部分』秦早穂子著を読んだ。ゴダールの『勝手にしやがれ』という邦題の命名者として知られる作者の自伝的小説。


『愛のむこう側』朝吹登水子著のようなものかと思い込んでいたら、戦前の日本の山手、インテリゲンチャ階層の作者自身の家庭の第二次世界大戦による没落と、自立してフランスに渡りキャリアウーマンの先駆け、映画の買い付けの日々が、ヴァージニア・ウルフばりにサンドウィッチされている。


水もしたたる若かりし頃のアラン・ドロンや胎動期のヌーベルバーグなどなど。素材は良いのだが、どうも読みづらい。もったない気がする。ライターを立ててインタビューをまとめた原稿に手を入れるとか、すればよかったのに。と、勝手に思う。どーした、編集者。


人気blogランキング