もたれあわないささえあいとは

 

 

『まなざしの記憶 だれかの傍らで』鷲田清一著 写真植田正治 を読む。

 

まず、写真家・植田正治から。彼の写真は、モダンである。アールデコの建造物のように、整然としている。ほとんどが、モノクロームの写真であり、かなり昔に撮られたものもあるが、古さをまったく感じさせない。本作には納められていないが、初期の遊び心に富んだフォトコラージュ調のものは、明らかにマン・レイを意識していると思われるが、有り体に申せば「カッコいい」の一語に尽きる。

 

人間が被写体の写真は、独特の絵画をイメージさせる構図であるにもかかわらず、人と人の間、すなわち間柄や絆、役割などを見た者に強く想起させる。

 

哲学者・鷲田清一は「他人に手をさしのべるそういうさりげないホスピタリティが湿りけのまったくない画面に滲みわたっている」と植田の写真を評している。ホスピタリティとは歓待、もてなしなどの意で、接客業、サービス業、最近では介護などの根底を成す言葉である。「相手をもてなすにあたって条件をつけないということである。それは看護の心であるとともに、ほんとは家族の心でもある」

 

前作、『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』で、植田の写真をフィーチャリングしたが、本作では、さらにその比重が増している。「聴く」ことの力の大切さ、「もたれあわないささえあい」、そして「いま必要なのは『美しく』生きるというより、ささえあいながら生きるということである」など鷲田の言わんとすることを、見事にスチール写真が語っている。

 

哲学者の書き記した断片と写真家の作品とのなんと素敵な衝突なのだろう。まさにコラボレーション(共作)として成立している。決してお互いの字説き・絵説きにはなってないから、くれぐれも誤解なきように。

 

もっと言葉をアフォリスム(警句)程度に削り、判形も大判にして、写真風絵本にすれば、とも思ってしまったのだが。あるいは、Webで見るというのも、考えてみたのだが、どうだろう。ビジュアルの持つ力を感じさせた一冊である。


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