『ナウシカ考 風の谷の黙示録』を読みながら、マンガ版『風の谷のナウシカ』を読む

 

 

 

ナウシカ考 風の谷の黙示録』 赤坂憲雄著を読む。
民俗学や哲学などからマンガ版『風の谷のナウシカ』を読み解いでいる。
面白くてためになる。

 

この本を読みながら、マンガ版『風の谷のナウシカ』全7巻宮崎駿著を何十年ぶりかで読み返した。すっかり忘れていた。長くて濃くて深い。ワイド判だからマンガ単行本より大きな判型なんだけど、それでもコマワリが多くて描き込みもすごいので読むのに時間がかかる。

 

アニメーターゆえ動きのカットが素晴らしい。メーヴェで自在に空を滑走するナウシカ。迫力ある空中戦。その浮遊感、疾走感。王蟲や虫たちの凄まじいモブシーン。

腐海、粘菌、胞子、大海嘯。

 

で、ストーリーにさまざまなテキストがぶち込んである。しかし、人気ラーメン店の秘伝のスープのように、渾然一体。

 

序文をまるごと引用。

 

ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は 数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った 大地の富をうばいとり大気をけがし 生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は 1000年後に絶頂期に達し やがて急激な衰退をむかえることになった 「火の7日間」と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し 複雑高度化した技術体系は失われ 地表のほとんどは不毛の地と化したのである その後産業文明は再建されることなく 永いたそがれの時代を人類は生きることになった」

てな話。「火の7日間」に出動したのが、かの巨神兵

 

ナウシカのモデルが堤中納言物語の『虫愛づる姫君』は知っていたが、
それだけではなく「ギリシャ叙事詩『オデュッセア』に登場する王女に由来」しているそうだ。

 

作者はマンガ版『風の谷のナウシカ』の構造をドストエフスキーの小説の構造に見立てている。ミハイル・バフチン曰く

ドストエフスキーポリフォニー小説の創始者である」

と。
すなわち、

「「それぞれに独立して互いに溶け合うことのないあまたの声と意識」が、あくまで多声的に交錯しながら織りあげてゆく」

と。それが似ていると。

 

マンガ版『風の谷のナウシカ』って、大枠としては『指輪物語』や『ナルニア国物語』などのハイ・ファンタジーの正統な系譜であると思うのだが。

 

次に「ほお!」と思わせたのが、ハイデッガーの『技術への問い』からの比較考察。
訳者・関口浩の「後記」からの長い引用。

「しかし、現代のさまざまな危機が技術的に解決されたとして、すべてが適切に機能するに到ったとして、その世界はパラダイスなのだろうか?これがハイデッガーの問題とするところである。「水素爆弾が爆発することなく、地上での人間の生命が維持されるとき、まさにそのときにこそ、アトミック・エイジとともに世界の或る不気味な変動が始まる」」と、ハイデッガーは言う。原子爆弾水素爆弾の管理が完璧に行われた世界、地球環境のコントロールが技術的にみごとに機能している世界、すべての労働者がついに正当な権利を保障される世界―余暇時間を保障された労働者たちは、休日をたとえば高度に技術的に組織されたレジャーランドで過ごすに違いない―、すべてが機能化した世界で、すべての機能が十全に機能しても、問題は解決するわけではない。むしろそういう世界でこそ技術の問題がいっそう先鋭化する、というのがハイデッガーの言わんとするところなのである」

引用した序文と見事にリンクする。

ならば、『風の谷のナウシカ』は、アポカリプス、ディストピアを描いた漫画なのだろうか。作者は首をふる。

 

「マンガ版『風の谷のナウシカ』は、『黙示録』をなぞった作品ではなく、黙示録的な終末観にたいして叛旗をひるがえした作品」

であると。同感。

アニメーションは多くのスタッフが必要だが、マンガは一人でも描ける。
遠慮なしに、妥協なしに。アニメワークの空き時間にようやく描き上げた。

 

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