「逃走論」から「切断論」へ

『動きすぎてはいけない』千葉雅也著を読む。

いきなりツィートの引用から。


栗原裕一郎 ‏@y_kurihara  · 1月13日  カルスタ以降といっていいのか自信がないけど、若手の文化研究って、手堅くてこれといって非を打つところはないものの、積極的に褒めるようなところもないっつーのが多い気がする。テーマ決めました!調べました!分析しました!まとめました!以上、みたいな。まあ資料としては役に立つんですけどね…」


的な本かと思った。

ドゥルーズもしくはドゥルーズ&ガタリを核とした現代思想変遷史。
確かによくまとまっている。労作っちゃ、労作。

ニューアカにならえば、ネオニューアカ
はっぴいえんどサニーデイ・サービスみたいなものか。

「序 切断論」だけでも一読の価値あり。そっからランダムに引用。


「私の考えでは、ポストポスト構造主義の要は、半面では、接続よりも切断、差異よりも無関心=無差別、関係よりも無関係、である」


マグロは回遊という動きを止めると死ぬらしいが、
―ケンサクしたら違うみたいだ―
ひとは、つながりっぱしじゃくたびれじゃんね。
一日中うつむいてスマホしてるんじゃ。


「生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない」


「ジタバタするなよ!世紀末が来るぜ!」(「NAI・NAI16」シブがき隊)

「内部観測」ってことかな。


「これは、自己破壊としての生成変化の加速しすぎ、オーバードーズないしバッド・トリップへの警戒でもありのではないか。自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約すること」

元は博士論文。
「主査:小林康夫、副査:小泉義之高橋哲哉中島隆博松浦寿輝
しっかし、なんだこのオールスターキャストは。



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