大坪砂男の『天狗』を読んだら、ぶっとんだ


創元推理文庫大坪砂男全集のうち『立春大吉』を大晦日に読んで
『天狗』を読み終えた。
江戸川乱歩から期待をかけられ、都築道夫の小説の師であった作者。
裕福な学者の家に生まれ、博学多芸、
そのストーリーの巧みさ。しかし、原稿を推敲しすぎるせいか
量産できず、結局、流行推理小説作家とはなれず、
佐藤春夫の同門柴田錬三郎
イデア(ネタ)提供などで糊口をしのぐという、
作品よりもその波乱万丈の人生に興味を覚えた。

だが、しかし、『天狗』を読んだら、ぶっとんだ。
他の作品が悪いわけじゃない。
ただ、すごすぎるのだ。
初読では、世界がよくつかめなかった。
濃厚というのか。
短篇ゆえ、何度も読んだ。
これが戦後まもなく発表されたとは。
通常の作家なら、この「奇想」をベースに、
薄めてストーリーをふくらませて中編・長編に仕立てるだろう。

「黄昏の町はずれで行き逢う女は喬子に違いない」

という書き出しは、

 

「向こふを行くのは お春じゃなゐか」

 



はっぴいえんどの『春らんまん』を思い浮かべた。

デビュー作もしくはデビューまもない頃に、
素晴らしい作品を書き上げてしまった。
そしてそれを凌駕するものが、ついぞ、生まれず。
一発屋などといってなにか嘲られがちだが、
世の大抵の人は一発屋さえにもなれないのだから。

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