『異端の時代』森本あんり著を読む。
まず「世界に蔓延するポピュリズムは民主主義の異端なのか」から入る。
何が異端で何が正統かを、
「宗教・政治・文化」から串刺しにした本。
メインは宗教、キリスト教だが。
「反知性主義」について。
「本来の反知性主義は、知性そのものではなく、知性と権力の
固定的な結びつきに対する反発を身上としている。つまりそれは、
知の特権階級に対する反発であり、既存の知的権威への反発である」
よってポピュリズムと反知性主義は双生児のような関係にある。
それがトランプを大統領にしたと。大阪で維新の会が強いのもその表れだろう。
「既存の知的権威」であるマスコミ産業はさらに高収入が付加される。
ともなれば、やっかみから支持しなくなる。でもなあ。
反知性主義者はたぶん反進化論、インテリジェント・デザイン支持者が多いのだろう。
厄介な言い回し。
「キリスト教もはじめは異端だった」
「キリスト教は、はじめユダヤ教内部の「分派」として容認されていたが、やがて「異端」として拒否されるようになり、最後にユダヤ教の枠組みを脱して新しい宗教すなわち「異教」へと転成していった」
カルトで異端だったキリスト教がやがて正統になったわけだ。
「正統はそもそも「作られる」ものではなくて、おのずからして存在するものである。正統を「作られたもの」と考えている限り、正統の本来的な在処を突き止めることはできない」
作者の言に従うと正統は数や量、多数決で決められないもの。
横道にそれる。
アートや音楽などのトレンドはアヴァンギャルド(前衛)→メインストリーム(主流)
→オールドファッション(時代遅れ)という流れになる。
ともするとメインストリーム(主流)を正統と思いがちだ。
日本人は「異端好き」という一文が出て来る。
サブカルチャーはカルチャーがある程度きっちりしているから、
その対比で面白いのだ。個性的な俳優は正統的な演技をする地味な俳優が存在しているから異彩を放つ。異端者ばっかりの映画やドラマは、つまらない気がする。
「正統は特定しがたく名状しがたく把握しがたい全体性を特徴とし、異端は明示的な要素と輪郭をもった彩度の高い主張を特徴とする」
と的確に述べている。
正統を新たな正統へと変革したのは志のある異端だと。
それは蛮勇ではなく知性を持ったドン・キホーテのような異端者か。
「それでも、人は正統と異端という秩序の記憶に生きる。だから現代世界は、始まった時にはすでに失われていた。人は、あらかじめ疎外されており、安住すべき故郷を追われた存在として自分を意識する。はじめから見たこともない神話的過去へのノスタルジーを植え付けられ、どこかに調和ある世界の回復を希求し続けるのである」
ここがやけに感じ入る。