三人寄れば毒が生まれる。それは、なぜ?

 

 

『サークル有害論-なぜ小集団は毒されるのか-』荒木優太著を読む。

 

そも「サークル」は「ロシアに由来する小集団」のことだそうだ。知らなんだ。

「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、その裏では「三人寄れば派閥ができる」。
さらに「三人寄れば毒が生まれる」


こんな感じで論考は続く。興味深いところを引用。

 

「ここで対象にしているサークルが「有害な小集団」であることに疑う余地はない。そして、男女比平等論によれば、毒の発生源はそのサークルをかたちづくる男女比の偏りに由来することによる。故に、比率が5:5に近づけばこのような毒性を抑えられるだろうという算段だ」

 

さらに作者は日本の国会議員の男女比の偏りを挙げている。国会議員=おっさんという図式は、おっさんばっかだからだ。「数を均していけば」いいと。「これを、ジェンダー・クオータ制」というそうだ。

 

マジで国会議員や経営者などを法律で男女比5:5と規定でもしない限り、解毒は不可能だろう。

 

「「有害な小集団」は「有害な男性性」に由来している」


ホモソーシャルから生まれるミソジニー(女性蔑視)、ホモフォビア(同性愛や同性愛者に対する嫌悪感や恐怖心)とか。サークルは、パワハラ、セクハラなど様々なハラスメントを生み出す温床の一つになっているのかもしれない。

 

広範な事例を挙げてサークルの持つ毒性を紹介している。ただあまりにも広げたサークルの風呂敷がでかいので、読んでいて混乱したりする。毒親、毒婦、「生活綴り方運動」、谷川雁の『サークル村』や鶴見俊輔のサークル論などの事例もなるほどとは思うが。

 

で、その毒出し(デトックス)の方法を提示しているが、なんかわかりにくい。

 

政治学者のカール・シュミットは、政治的なものを「友」と「敵」に区別し、「敵」を殲滅することと定義した。現代の認知科学の世界でも、内集団バイアスという用語のもとで無意識に傾いてそまう内輪贔屓が論じられている。ベルクソンは、シュミットの言葉遣いを借りていえば青樹的に飽き飽きし、認知科学風にいえば自然な人のならいから身を翻して、これを打ち破る方法として「敵」さえも「友」として迎え入れるような開かれに希望を託している。単純化すれば、ベルクソンにとって閉ざされにこそ集団の有害性がある。では、開かれとは具体的にどのようなものなのか。ベルクソンはそれを「愛の飛躍」と呼んでいる」

 

つーか、サークルの毒って時には薬にもなるわけでその毒を無くすことっては、サークル自体の存在意義を無くすことにもならないだろうか。あ、きわめて素朴な疑問っす。

 

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