クサいものに蓋

『犯罪不安社会』浜井浩一+芹沢和也共著を読了。


『Always−三丁目の夕日』のヒットにはじまった、あの頃はよかったという昭和30年代ブーム。
昭和30年代が高度経済成長途上にあり、貧しくとも、なんとなく、希望があり、
家族や近隣とも親密なつきあいで、いまよりさぞかし平和だったと思いがちだが、
統計上では、その時代が凶悪犯罪が現在よりも多発していたそうな。
確か、いっとう最初に読んだのは『反社会学講座パオロ・マッツァリーノ著だと思う。
そんなことはすっかり忘れて甘ったるいノスタルジーモードにひたる。


それよか「小宮信夫の主張する「環境犯罪学を普及」」させねばと作者はいう。

「これまでの犯罪学は「犯罪原因論」という考え方に立脚していたという。
それはある人間がなぜ犯行に及んだのか、その原因(人格・環境−筆者註)を
究明しようするスタンスに立つ」

そんなものは「防犯のために、まったく効果的でない」とか。


なら、どんなものなのか。

「犯罪者とそうでない人間とのあいだに違いはない。どんな人間でも機会があれば
犯罪に及ぶし、また機会がなければ実行しないと考えるのだ。
それゆえどんな人間にとっても犯罪に及びにくいような「環境」を整えようという」
もの。


なんだか治療より予防って考え方なのかしらん。
んでもって「普通の人」ではない人は、町内会のパトロールの人たちから
「不審者として排除される」傾向にある。
「「環境」を整え」ることと「排除すること」は、違うはずなのに。


排除される先が刑務所である。この本の4章「厳罰化がつくり出した刑務所の現実」は、
生々しい。「受刑者のほとんど」は「老人・障害者・外国人」、いわゆる弱者である。
姥捨て山ならぬ不審者捨て山、更正・矯正施設よりも福祉施設と化しているとは。


これもあの人は挙動不審だから何をするかわからない。
徹底的にマークされ、挙句の果てにしょっぴかれる。ヒステリックなまでの過剰防衛反応らしい。
前にも書いたことがあるけど、平日昼日中、家で仕事しているぼくなんて、
怪しまれたりしたら、いつ通報されるかもしれないわけだ。いやはや。


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