長い「ガリレオの指」から「現代科学」がはじまった

 

ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論

ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論

 

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ガリレオの指


仕事のリターンが来ないので、これ幸いと『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』ピーター・アトキンス著 斉藤 隆央訳を読了。


フィレンツェ、ウッフィツィ美術館の裏にある「ガリレオ博物館(もと科学歴史博物館)」にはガリレオの右手の中指が展示されているそうだ。
展示写真を見ることができるが、長い指(画像参照)。

 

その長い「ガリレオの指」から「現代科学」がはじまった。
中指をおったてるのは、アメリカ言語圏では下品なしぐさなんだけど。

 

この本では「進化」「DNA」「エネルギー」「エントロピー」「量子」など「10の理論」を述べている。
わかるとこだけ読んでみたが、それでも十分に刺激された。

 

一例をピックアップ。名前だけは知っている「量子論のたとえ話」、「シュレーディンガーの猫」。

 

「生きている猫を、毒殺装置とともに不透明な箱に入れる。この非道な装置は、猫を殺すかもしれないし、殺さないかもしれない。箱を開ける前、猫は死んだ状態と生きている状態の重ね合わせになっているのだろうか?この波動関数は、いつどちらの状態に収縮するのか?」

 

この場合

「猫の状態=生きている状態+死んだ状態」

である。

 

さらに作者は

「防音された箱の中で猫を毒殺ではなく射殺した場合」を付記している。「「系の状態=猫×銃のなかにある弾丸+猫×飛んでいる弾丸」と表せる。その直後は、弾丸が猫の体に入って猫が死ぬか、弾丸がまだ銃のなかにあって猫は生きたままのどちらかになり、系の状態は「系の状態=生きている猫×銃のなかにある弾丸+死んだ猫×猫のなかにある弾丸」と表せる」

 

猫は箱モノが大好きだから、勝手にも潜り込んでしまうかも。

 

訳者あとがきでこう書いている。

 

「これまで考えたこともなかった視点を私に提供してくれた」
「重さや時間も長さで表わせるとか、時間や空間など実はなく、事象が泡のように散らばっているのがこの世界の正体なのではないかという話が出てくる」

なんだかスタニスワフ・レムグレッグ・イーガンの小説みたいだ。

科学の最前線に近づくと、科学・哲学・宗教が三輪(さんりん)一体となっている。
混乱しちゃうが、ワクワクもしちゃう。

 

シュレーディンガーの猫」についてくわしく知りたい人はこっちを。
シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

 

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コロナ禍のせみ―ほほえむポエム

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夕方 渋谷方面行の電車に せみがいた


二子玉川駅で地下に入る
コロナウィルス対策で換気のため
車内の窓を一部開けていた
そこから入ったのだろう

 

多摩川近辺で脱皮したのかな

せみは脱出しようとパニックになりバタバタ
虫嫌いの女性もパニックになりバタバタ

 

せみが羽ばたくと
女性はあわてて席を立って移動する

 

せっかく地上に出られたのに、
運悪く車内に
せみは「オーマイゴッド!」と嘆く

 

運良く地上に出て再び空を飛んでも
油断していると、カラスやヒヨドリの餌食となるよ


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バートルビー症候群と診断されても「その気になれないのですが」

 

 

『乙女たちの地獄-H・メルヴィル中短篇集-1』
ハーマン・メルヴィル著 杉浦銀策訳を読む。
以下感想をば。

 

バートルビー

ある法律事務所で筆耕(書記)の求人広告を出した。
やって来た男がバートルビー。地味でおとなしそう。
真面目に仕事に取り組んでくれそう。
「入社3日目」に仕事を言いつけると、
できないと。「その気になれないのですが」の一点張り。
通常、仕事が嫌ならば自ら辞めるのだが、
出社はする。一番早く出社して一番遅く退社する。
心変わりしたけと仕事を注文すると、また「その気になれないのですが」。
真正困ったちゃん。やがて主のように法律事務所に住み込む。
しかし、仕事はしない。職場は好きらしい。
バートルビーは結局、事務所にいられなくなる。
余りにも不条理、悲し過ぎるバートルビーの人生。

 
『エンカンタダス―魔の島々』 

エンカンタダスは現在のガラパゴス諸島。人の来訪を拒んでいるかのように過酷な自然環境。
かつて船員として得た知識や実際に見たことから群島、各島の歴史や地理上の特徴を丹念に描写している。
こんな引用を。

「アルベマール島の人口
人間…0 蟻喰い…未詳 人間嫌い…未詳 蜥蜴…500,000 蛇…500,000 蜘蛛…10,000,000 山椒魚…未詳 悪鬼…未詳 合計…11,000,000」


まさに『白鯨』の作者ならではの人外魔境の不気味な海洋物語。

 

『二つの教会堂』 

「その1」ではニューヨークの「新築の教会堂」が舞台。忍び込んで追い出された男が再び忍び込んで大胆にも鐘を鳴らす。捕まり、裁判にかけられる。
「その2」ではロンドンの教会堂が舞台。「その1」の男が運よく職にありつけ、ロンドンに渡る。ところが、ロンドンで予定していた仕事はなくなる。途方に暮れる「私」。芝居を見た後、教会堂をねぐらにすることを考える。異国のあたたかさを知り、「故国」の冷たさを知る。

 
『独身男たちの楽園と乙女たちの地獄』 
1.独身男たちの楽園
「ロンドン市の西端」にある。「僧院のようにも」思える楽園。
そこに「消え失せた」はずの聖殿(テンプル)騎士団が。
「テンプル法学院」は、居心地の良い環境。素晴らしいご馳走とシャンパン。「よき談話」。まもなく最高の晩餐は「お開き」となる。男たちの理想の避難所。マジか。

2.乙女たちの地獄
ニューイングランドの巨大な森の「山腹」にそびえ立つ製紙工場。
「種屋商売」をしていた男は種袋や封筒などを直接発注して経費節減を図ろうと、
工場を尋ねる。工場にはうら若き乙女たちが機械の奴隷のように働かされている。
休みもろくにない劣悪な環境。アメリカ版「野麦峠」か。


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地質は地球の履歴書―「地質学の父」の数奇な人生

 

 

『世界を変えた地図 ウィリアム・スミスと地質学の誕生』
サイモン・ウィンチェスター著 野中邦子訳を読む。

 

いってみれば、イギリスの伊能忠敬
伊能忠敬が日本の地形を驚くべきほど精緻に正確に地図にしたが、
ウィリアム・スミスは「1815年」イギリスのアンダーグラウンド(地下)を
地質図として世界で初めて刊行した。
こちらも正確さではひけを取らない。
ろくな測量道具もなかったはずなのに、ひたすら歩いて、調べて。

 

地質学は、身近なところでは防災だろうか。
地震や地滑り、火山の噴火などの起こりやすい場所を
分析・判断して、対策を講じる。

そのおおもととなるのが、この一枚の地質図なのだ。

 

地質は地球の履歴書。彼は、たびたびの測量の中で
地質には「一定の法則性」があることを発見する。

 

いまは山の中でも、海辺と同じウニの化石が発掘されれば、
かつてそこは海で、同一の地層、すなわち同一の年代であるとされる。

現在は子どもでも知っているようなことだが、
当時は、トンデモ理論扱いでびっくり。

 

ほかにも、名高い温泉保養地、Bathの語源となったバースの温泉が
枯渇する危機に見舞われたとき、彼は原因を突き止め、見事、湯が噴出する。
地質学探偵!?

 

いまでもイギリスには運河が毛細血管のように張り巡らされているか、
運河の工事にも尽力し、ロジスティクスの発展に貢献した。

 

名声も次第に高まり、長年の夢であった地質図作成に取り掛かるが、
資金繰りに行き詰まり、挙句の果てに投獄されてしまう。

しかし、ついに一枚の美しい地質図ができあがる。

と、まあ、山あり谷ありの人生。

 

宅地の造成などで地面が削られると、地層が見える。
まあこのへんは関東ローム層なんで、益子焼備前焼の肌合いのようで、
いまいち地味なんだけど、そのバームクーヘン状の重なりを
眺めるだけで、悠久な時の流れを感じてしまう。


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夏なんです

 

フランス怪談集 (河出文庫)

フランス怪談集 (河出文庫)

  • 発売日: 2020/04/04
  • メディア: 文庫
 

 

午前9時過ぎ。物干し台の鉢植えに水をやろうと
二階にある水道の蛇口をひねるとお湯が出る。
しばらく出しっぱなしにしておくと生温い水が出る。

 

伸び放題の庭木を切る気力もなく。
コロボックルかホビットが隠れているかもしれないし。

 

『フランス怪談集』日影丈吉編を読む。
怪談日和だし。ってこのところ年中、そうだけど。
以下短い感想メモ。

 

『死霊の恋』テオフィル・ゴーチェ著 田辺貞之助

牧師である主人公が、かつての激しい恋を回想する。
相手の女性(美貌で知られる遊女)はすでに亡くなっていた。
男のやりきれない気持ちにこたえてか
死霊となってあらわれる。生きていなくても会えればいい。
『牡丹灯籠』と似た話。二人はヴェネチアへ行って遊興三昧。
牧師の師が異変に気づき、女性の「遺骸」を暴いて「聖水をまいて」
「灌水器で棺桶の上に十字を切る」。ま、エクソシストですね。
吸血鬼である彼女は消えてしまう。「翌朝」彼に恨みつらみを述べて消えてしまった。
後悔する牧師。忘れられない運命の女性。

 

『イールのヴィーナス』プロスペール・メリメ著 杉捷夫訳

イールのお金持ちの家に招かれた「私」。そこでローマ時代のものと思われる
傑作のヴィーナス像を見せられる。お金持ちの息子の結婚式当日、ヴィーナス像を介在して悲惨な事件が起こる。発掘してはいけない像だったのか。呪いのヴィーナス。

 

木乃伊(ミイラ)つくる女』マルセル・シュオップ著 日影丈吉

アフリカ(「リビア」「エチオピア」あたり)の砂漠を歩く兄弟。
夕方、とある家に泊めてもらうことになる。
異文化に面食らうことばかり。これでもかと薄気味悪い描写が続く。
そこは「ミイラ作りの邑(むら)」だった。逃げ出そうとする。
助かったのは兄だった。弟は…。

 

『壁をぬける男』マルセル・エーメ著 山崎庸一郎訳

「登記局の三級職員」の男。生真面目で平凡そうに見えるが、
壁を通り抜ける能力がある。「次長」が代わってパラハラを受ける。
「倍返しだ」といわんばかりに特殊能力で報復する。
味をしめた男はしたい放題。何せ警察に捕まっても、拘置所に入れられても
すりぬけてしまうのだから。でも年貢の納め時がくる。

 

『代書人』ミシェル・ド・ゲルドロード著 酒井三喜訳

「私」は元修道院を訪ねるのが日課のようになっていた。
ふだんは施錠されていて中の素晴らしい美術品を見ることができるのは限られた人だった。
「私」はオーナーから鍵を渡されているのでいつでも入れた。庭園も素晴らしい。
礼拝堂がいまは年老いた「代書人」「ピラツス先生」のオフィスとなっている。
ただし蝋人形なのだが。だけど、確かに話をした。生きていると思われた代書人は。

 

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昔のレビューをひっぱりだしてみた

 

 この暑さでマスクしているのと
観光地へ行くのはよろしいが、帰省はよろしくないとでは
どちらが狂気の沙汰だろう。

 

感染者数をニュースで見ていてもピンとこないが、
近所のスーパーマーケットや特養老人ホームで出たと聞くと、
うわっとなる。


クオリア系統樹的に辿ると、ベルグソンの直観あたりかな、
うーんと、一寸悩んでたら、おおもとがマッハになるのではないかと思い、
昔のレビューをひっぱりだしてみた。

 

『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』木田 元著より。

 

フッサールからマッハへ。ハイデガーからニーチェへ。作者は「二十世紀思想」の源を辿り、「世紀転換期」へと知的旅行を試みる。

 

マッハとニーチェ、一見すると何の関連性もなさそうなのだが、

「ホーフマンスタールをはじめとする世紀末ウィーンの若い詩人や芸術家にとって『<現代風>(モデルネ)』といえば、マッハとニーチェ-一部略-だったのである」

 

19世紀末から20世紀初頭のアカデミックなアイドルと述べるのは、語弊があるだろうか。しかし、カフェの片隅で彼らについて喧喧諤諤、議論している光景が目に浮かぶ。

 

速度単位「マッハ」が、エルンスト・マッハにちなんで命名されたことは存外知られていないかもしれない。さらにマッハの業績については、本作のタイトルに並列されているニーチェほどには、知られていない。

 

アインシュタイン相対性理論も、ウィーン学団論理実証主義も、ハンス・ケルゼンの実証法学も、どれもこれもマッハの思想のなんらかの影響下に生まれたものである」


フッサール現象学も、ゲシュタルト心理学も。

だから、オーストリアの物理学者であり哲学者でもあったマッハについて本作では大幅に紙幅を割いて紹介している。

 

マッハが唱えていたのが、「感性的要素一元論」なのだが、うまくはしょれないので、長い引用でご容赦していただきたい。

 

「世界に固有の要素は物(物体)ではなく、色とか音、圧、空間、時間(通常われわれが感覚と呼んでいるものである)」「これらの<要素>は、『今までのところ』『それ以上分割しえない究極的な構成分なのである。これに<感性的諸要素>は、相互に函数的に依属しあい多様に関連しあってさまざまな<複合体>をかたちづくる。<物体>というのは、比較的恒常的に現われてくる強固な複合体に与えられる名称、記号なのである』物体が感覚を産出するのではなく、要素的複合体(感覚複合体)が物体をかたちづくるのである。」

 

「こうして唯物論実在論が拠りどころにしてきた<物体>も<物質>も、また唯心論・観念論がいっさいの存在を支える基点としてきた<自我>も、<感性的諸要素>に解体されてしまう」

そして


「残るのは、一元的世界、つまり<現象>の世界だけである」

 

ほおほお、フッサールじゃん。かつ、クオリアも包含されていないだろうか。

この本を通していままで知っていたマッハとニーチェの功績は、あたかも海上に露呈している氷山の一角のようなもので、海の下に潜んでいるその大きさの一端を窺うことができる。

 

かのポール・ヴァレリーが、マッハの著作を知り、長年あたためていた思索とほぼ同じであることに驚嘆し、深く落胆したというエピソードも、興味を覚える。偶然か、必然か、そういうことは、ままあるようで、現代思想の胎動期ならではという気がする。

 

科学は哲学から生まれ、科学は哲学を刺激する。しかし、それは、決して予定調和的ものではなく、見えない糸で結ばれていたり、同時代の空気を吸っている者同士のシンパシーが左右しているのだろう。おっと、きわめて文学的な表現なのだが。そんなことを再認識させてくれた。

 

ただし池田清彦のような唯物論者はクオリアを一笑に伏すだろう。茂木健一郎は、どう理論構築して、どう煮詰めていくか、だ。ぼくはあり!だと思ってるんで。

マッハに関心を持たれた人はマッハの『感覚の分析』を読んでみたらいかがだろうか。
やさしかないけど。

 

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100文字の深淵なる大宇宙

 

100文字SF (ハヤカワ文庫JA)

100文字SF (ハヤカワ文庫JA)

 

 

ピーター・バラカンのラジオで聴いたフリートウッド・マック(つーか故ピーター・グリーン)の『ブラックマジックウーマン』に、はまる。
おすそ分け。

Fleetwood Mac Peter Green - Black Magic Woman (Live Boston Tea Party) 1970


Fleetwood Mac Peter Green - Black Magic Woman (Live Boston Tea Party) 1970

 

『100文字SF』北野勇作著を読む。

 

SFのようで、ホラーのようで、アフォリズムのようで、童話のようで、散文詩のようで。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に似たものもある。

 

好きなのを1作だけ引用。

 

「突如として知性を持った大量の餅たちが人類を支配する。人類は餅たちを増やすために餅つきを強制され、しかしその価値によってかろうじて生き残るが、自ら開発した餅つき機にその地位を奪われ、絶滅することになる」


100文字だからすぐ読める。しかし、読みながら、読んでから、その世界に入り込む。
作品によっては、底なし沼のように深くて、からみつかれる。
ほんとうに溺れるのはダメだけど、イメージなら溺れてしまえと。

 

100文字って思いつきだけで書いて楽々クリアする。
ところが、掲載された200篇は、断片ではなくて小説になっている。
いわば小さな大宇宙。

 

この本、表紙も裏表紙も他著紹介もみんな100文字。
なんだ、このこだわり方は。

 

NHKのアナウンサーの原稿を読むスピードが確か60秒で400字。
100字だと15秒。
15秒というとTVCMのスポットCMが15秒。
ラジオCMだと通常は20秒。5秒とかもあるけど。

だからか、すんなりと入る。
いまどきのヤングはTVをあんまり見ないらしいからピンとこないかも。

 

PCが普及して手書きではなくてタイピングになった。
メディアの主体が紙からWebになったこともあるのか、
やたらテキストが長く、冗長になった。

読書量は減っているのに文字を読む量は増えているそうだ。
SNSだろうね。

wired.jp

テキスト増量時代を逆手に取った作者らしい作品。

今後ここから長篇にふくらんだものが出るならば、
それもぜひ読んでみたい。

 

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