京都アニメーション、テレビ局の取材があるとかで
セキュリティを解除していた。
そこへ男がガソリンをまいて火をつけた。
ううむ。
『岡本綺堂随筆集』岡本綺堂著 千葉俊二編を読む。
随分前、池波正太郎のエッセイにはまったことがあった。
でも小説には食指が動かなかった。
岡本綺堂は最初に小説を読んで、次が随筆。
作家にはまったくのイマジネーションで書くタイプと
資料やフィールドワークなど実証を重んじて書くタイプがある。
綺堂は、後者。
まだ江戸が色濃く残る東京がくっきりと脳裏に浮かぶ。
へえと思ったところ。
〇明治時代は年始挨拶が盛んで、年賀状で済ますのはちと無礼だったとか。
メールの今ならどうなのだろう。
〇高座で聴いた三遊亭円朝の『牡丹灯籠』の怖ろしさ。
「私は円朝の話術の妙ということをつくづく覚った」
「暗い夜道を逃げるように帰った」
〇関東大震災の記録が鮮烈。筆まめだった日記や資料などが炎上してしまったのは
残念無念。
〇被災して番町の自宅は倒壊。大久保の借家に住むが、「郊外」と書いている。
そっか、この頃、大久保は郊外なんだ。
ムダのない的確な描写は新聞記者時代に修得したものなのだろうか。
元御家人の父親は英語に堪能で英国公使館で働く。
そのような環境ゆえ綺堂は英語に親しむようになる。
「半七捕物帳の思い出」にこう書いている。
「そのころ私はコナン・ドイルのシャアロック・ホームスを飛び飛びには
読んでいたが、全部を通読したことがないので―略―一気に引きつづいて三冊読み終わると探偵物語に対する興味が油然と沸き起こって、自分もなにか探偵物語を書いてみようという気になったのです」
なぜ江戸時代、岡っ引きで探偵物語を書くことにしたのか。
「現代の探偵物語をかくと、どうしても西洋の模倣に陥り易い虞れがあるので、いっそ純江戸式に書いたならば一種の変った味のものが出来るかも知れないと思ったからでした」