ふと、大江健三郎の短篇集が読みたくなって

 

 

『僕が本当に若かった頃』 大江健三郎著を読む。

 

初期の作品である『奇妙な仕事』や『死者の奢り』を読んだときは、衝撃を受けた。
大江作品イコール重厚長大のイメージが強いが、『奇妙な仕事』や『死者の奢り』は短篇だし。


で、久しぶりに読みたくなって短篇集はないかと検索して出てきたのがこの本。
結論から言うとたっぷり楽しめた。

 

家族や親族、大学の恩師や付き合いのあった人々などを書いた私小説風作品。
「風」が曲者。そこに作者の企みや罠がある。時にはユーモラスに、時にはエロティックに、時には伝奇的に。

 

ぼくですか?用心していたのに、見事に作者のこしらえた落とし穴に、すとんと落ちてしまった。

 

何篇かの短いあらすじとか感想などを。

 

『火をめぐらす鳥』
若いときに惹かれた伊東静雄の詩「鶯」の断片と子どもが鳥の鳴き声に感化されて言葉を発した話がつながっている。子どもは「野鳥の声のテープ」には反応するが、本物の鳥の鳴き声には興味を示さない。子どもとのやりとりがぼく自身の思い出と重なる。軽井沢の別荘が出て来るが、この別荘が売りに出されていることをtwitterのTLで知った。余談だが。


『「涙を流す人」の楡』
文学賞の授賞式でベルギー大使館の離れにいる。そこに大きな楡の木があった。「僕」は楡の木の思い出話をN大使にする。彼は思い出話を分析する。まもなくガンで亡くなった大使。謎だった楡の木の思い出が明らかになる。大江版マジックリアリズム


『治療塔』
確か長篇小説であったけど。本作は「オペラ用の台本」だとか。「人類の知らぬ合金で建造された」治療塔。「数百基」あってさまざまな病気を癒してくれる。スタニスワフ・レムのようなSFを期待したが、どうも違ったようだ。


『マルゴ公妃のかくしつきスカート』
カメラマンの篠君がマルゴ公妃について作家の「私に」訊ねる。「マルゴ公妃は色情狂の公妃」と呼ばれ「愛人の頭蓋骨をスカートのポケットに14個もしまっていた」。後日、彼が送って来たヴィデオ・テープには「東南アジアの娘」が撮られていた。彼女はフィリピンから不法駐留しているマリアだった。身体で稼いだ金は怪しげな教会に寄進する。カメラマンは彼女を現代のマルゴ公妃とみなす。マリアも「愛人の頭蓋骨」ではないが、そのようなものを持っていた。振り回される篠君。ダークな純愛小説。


『僕が本当に若かった頃』
家庭教師のアルバイトをはじめた「僕」。何でも文章化するという独特の指導法で「滋君」の成績は上がる。両親はもとよりそれまで教えていた叔父にも関心を持たれる。叔父は東京郊外で養鶏業を営み、世捨て人、ヒッピーのような暮らしをしている。一方、英語が堪能でチャーミングな叔母は映画の輸入会社の重要なポストについている。対照的な二人は現在別居状態。ある日、叔母のパーティーに招かれた「僕」。伯母と危ない関係になりそうになる…。

念願の運転免許を取った「滋君」。伯父とロングドライブに行く。そこで悲惨な事故に
遭う。心に傷を負った「滋君」。アメリカへ逃げるように留学してそのまま大学の教授となる。作家となった「僕」と「滋君」の再会は。前半の話は映画『家族ゲーム』を思い浮べた。


茱萸の木の教え・序』
「従妹タカチャン」の生涯。「僕」と「タカチャン」は年齢が近く、一時はいい関係にもなっていたようだ。「タカチャン」はエキセントリックで厄介な性格。才気煥発だった彼女だが、学生運動に巻き込まれ頭部に損傷を受ける。それから寝たきりとなる。恢復したように見えたのは束の間、結局、亡くなる。養父が彼女の書いたものを追悼集に編もうとする。その序文とまとめを作家である甥の「私」に依頼する。送られてきた日記の一部などを見ると…。


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