『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生著を読む。
軽くふわふわしているが、読み終えるとどっしりと残る。
そこいらを思いつくままに。
そこいらを思いつくままに。
タイトルと装丁をみて、あ、また新しい韓国文学の本かと思った。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は、ぬいぐるみサークルに入っている
小柄な男子大学生が主人公。
大学生活やサークルのこと、気になる女の子や恋などが書かれている。
生き方は器用じゃなくて、自分に自信は持てず、大抵はおどおどしているが、
たまには自分でも驚くほど大胆な行動に出る。
と、本人は思うかもしれないが、はたから見ればそうでもない。
生き方は器用じゃなくて、自分に自信は持てず、大抵はおどおどしているが、
たまには自分でも驚くほど大胆な行動に出る。
と、本人は思うかもしれないが、はたから見ればそうでもない。
好きな女の子の部屋に泊まることになってもセックスしない。
「セックスをしに来たんじゃなくて泊めてもらいに来たのだから」
という友人の話を聞いたのが、つい昨日のことのよう。
「セックスをしに来たんじゃなくて泊めてもらいに来たのだから」
という友人の話を聞いたのが、つい昨日のことのよう。
主人公と同じく友人は彼女にふられてしまったが。
誰かとつながってはいたいが、つながりたくない人とつながるふりをするのはつらい。
傷つくのも、傷つけられるのもいやだ。
傷つくのも、傷つけられるのもいやだ。
と思うのはSNSなどがある現代の若者だけではない。昔の若者とておんなじ。
読んでいてぼくは大学時代を思い出していた。
ぬいぐるみサークル、通称ぬいサーは女子度が高い。
でも、ここに入っている男子も結構メンタルがフェミ男だ。
でも、ここに入っている男子も結構メンタルがフェミ男だ。
成人式で久しぶりに地元に帰る。彼は自ら髪を金髪にする。
目立つのは、嫌いでもあり、好きでもある。このアンチノミー。
生家での両親のやりとりをみて、父親のワンマンぶりを内緒で非難する。
メンタルがフェミ男ゆえ。
目立つのは、嫌いでもあり、好きでもある。このアンチノミー。
生家での両親のやりとりをみて、父親のワンマンぶりを内緒で非難する。
メンタルがフェミ男ゆえ。
改めて、男らしさ、女らしさ、人間らしさ、らしさって何?
どことなくパク・ミンギュっぽいと思うのは、ぼくだけ?
―つづく(予定)―