ぬいぐるみとしゃべる人は-1

 

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

 

 

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生著を読む。
軽くふわふわしているが、読み終えるとどっしりと残る。
そこいらを思いつくままに。
 
タイトルと装丁をみて、あ、また新しい韓国文学の本かと思った。

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は、ぬいぐるみサークルに入っている
小柄な男子大学生が主人公。
 
大学生活やサークルのこと、気になる女の子や恋などが書かれている。
生き方は器用じゃなくて、自分に自信は持てず、大抵はおどおどしているが、
たまには自分でも驚くほど大胆な行動に出る。
と、本人は思うかもしれないが、はたから見ればそうでもない。
 
好きな女の子の部屋に泊まることになってもセックスしない。
「セックスをしに来たんじゃなくて泊めてもらいに来たのだから」
という友人の話を聞いたのが、つい昨日のことのよう。
主人公と同じく友人は彼女にふられてしまったが。
 
誰かとつながってはいたいが、つながりたくない人とつながるふりをするのはつらい。
傷つくのも、傷つけられるのもいやだ。
と思うのはSNSなどがある現代の若者だけではない。昔の若者とておんなじ。
 
読んでいてぼくは大学時代を思い出していた。
 
ぬいぐるみサークル、通称ぬいサーは女子度が高い。
でも、ここに入っている男子も結構メンタルがフェミ男だ。
 
成人式で久しぶりに地元に帰る。彼は自ら髪を金髪にする。
目立つのは、嫌いでもあり、好きでもある。このアンチノミー
生家での両親のやりとりをみて、父親のワンマンぶりを内緒で非難する。
メンタルがフェミ男ゆえ。
 
改めて、男らしさ、女らしさ、人間らしさ、らしさって何?
どことなくパク・ミンギュっぽいと思うのは、ぼくだけ?
 
―つづく(予定)―