とりとめもなく

世界史の構造

世界史の構造


お待たせしました。待ってないか。
『世界史の構造』柄谷行人著の引用と感想メモ。

「国家においては、略奪が再分配に先行している。国家による再分配は、
歴史的には、灌漑や社会福祉、治安のような公共政策というかたちをとってきた。その結果、国家は「公共的」な権力であるかのようにみえる。」

昔の年貢、今の税金か。

マルクス主義者は国家やネーションをイデオロギー的上部構造とみなしてきた。しかし、国家やネーションが資本主義的な経済的構造に還元されない自立性をもつのは、それらが「相対的に自立性をもつイデオロギー的上部構造」としてあるからではない。それらが、それぞれ異なる経済的下部構造、すなわち、異なる交換様式に根ざしているからだ」

「贈与することは、贈与された側を支配する。返済しないならば、
従属的な地位に落ちてしまうからだ。ここでは暴力が働いていない。
−略−にもかかわらず、それは暴力的強制以上に他人を強く制する」

例えば子ども手当てとか。作者は「交換」「贈与」で、マルセル・モースの贈与論やポトラッチを引き合いにしているが、いまさらという気もしないでもない。

「国家、ネーション、資本を包括的に扱うためには、それらを広い意味での交換、つまり、交通という概念に戻って考え直す必要がある」

初期のマルクスも「交通という概念」を持っていたそうだ。
トランスクリティーク』を再読してみよう。

「商品交換においては、所有権が一方から他方へ移る。だから、貨幣をもつことは、他の物の所有権を獲得する権利をもつことになる。したがって、貨幣を蓄積しようと欲望が生じる。つまり、物よりも貨幣を欲する倒錯(物神崇拝)が生じるのである」

物持ちとはいわずに金持ちというし。金はあくまでも手段なのに、いつの間にか目的になっている。

「国家が成立するのは、被征服者が略奪される分を税(貢納)として納めるときである。−略−別の観点からいえば、国家は、略奪や暴力的強制を「交換」の形態に変えることによって成立するのである」

フーコーの生政治の概念を別角度から見たようなものかも。

「国家は、「永続的な体制を作るために」支配者に対する貢納や奉仕を、支配者の側からの贈与に対する被支配者の返礼というかたちにしてしまう必要がある。それが宗教の役割である。ゆえに、このような宗教は国家のイデオロギー装置である」

これから宗教に代わって「国家のイデオロギー装置」になるものは、なんだろう。

「それにしても、プロレタリアという語にはどうしても貧窮者というイメージがつきまとう。−略−今日、ホワイト・カラーと名づけられる階層の人たちは、紛れもなく賃労働者であるにもかかわらず、自身をプロレタリアだとは考えない」

納得。「プロレタリア」=ルンペンプロレタリアを想像してしまいがち。
もっとも、マルクスの時代には「ホワイト・カラー」はいなかったし。

「カントがいう「永遠平和」」

「国家と国家の間に経済的な不平等があるかぎり、平和はありえない」

恒久非−平和じゃん。

「産業資本主義の成長は、つぎの三つの条件を前提としている。
第一に、産業的体制の外に、「自然」が無尽蔵にあるという前提である。
第二に、資本制経済の外に、「人間的自然」が無尽蔵にあるという前提である。
第三に、技術革新が無限に進むという前提である。だが、この三つの条件は、一九九〇年以降、急速に失われている」

資本主義は「成長期」を過ぎてしまったのかな。
ともかく風呂敷を広げてはみたものの、ちょっと世界史という対象がでか過ぎて、総花的にまとまってはいるが、全体的に薄口で喰い足りない気もする。
こちらの読解力不足かもしれないが。


ネグリ=ハートの「マルチチュード」は、結局「アナーキー」だと作者はいう。
無政府と作者の提唱する「世界共和国」じゃ、
まるっきし反対のベクトルだしなあ。


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