- 作者: 石川忠司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/04
- メディア: 新書
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仕込みなどで何やかやとあわただしい昨日・今日・明日。
半年ぶりに恵比寿で打ち合わせ。外は花盛り。
kuriyamakoujiさんが取り上げていた
『衆生の倫理』石川忠司著を読む。以下、メモ。
フロイト、カント、ユング、フーコー、ベンヤミンなどを俎上にのせ、
幕末の志士たちというスパイスをふりかける。無国籍料理、多国籍軍?
文芸評論の新しいスタイルなのだろうか。
新でもあり、奇でもある。わざと素行をワルぶってみせている風もあり、
おぬし、なかなかの芸、技の持ち主と見た。
なぜ大衆、人民ではなく衆生なのか。ここが肝で。
『パンピー(一般ピーポー)の倫理』じゃ、おしゃれじゃないサブカル本と思えるかな。
近現代人は、倫理で自縛されている。
近代化とは、光と闇でいうと、光の部分で、
ロウソクから電灯へ。砂利道から舗装道路、高速道路へ。
ともかく闇は、忌み嫌われ、光ばっかになり、闇なんて言葉は闇金ぐらいで。
近現代人は、逃げ場、隠れ場を失くしてしまった。
(みーんな、お上はお見通しさって、なら消えた年金問題は。
国家の都合が悪いことは、ほっかむりなのかも)
この本でも、今を過去に当て嵌め、今を読み解こうとしている。
過去の範例を絶対視して、マニュアルにしている裁判官の如きものかと思うが、
当たるのか、当たらないのか。
テクノロジーは進化したけど、人間はどうなの。って素朴な疑問だけど、
だから、歴史書やギリシャ哲学を紐解けとまったく等号ではないんじゃなかろうか。
子どもの給食費を支払わない親は、許せないと憤る。−タテマエ
実際は、子どもの給食費は支払わない。なぜなら、うちの子は偏食で小食だから。
半値なら支払ってもよい−本音
倫理って、この程度のもんって気がするんだけど、うがち過ぎ?