またふられる

 

半七捕物帳〈3〉 (光文社時代小説文庫)

半七捕物帳〈3〉 (光文社時代小説文庫)

 

 

 
昨日、朝と夕方、激しい雨と遭遇する。
クロックスの長靴にすりゃよかった。
カラダが濡れると力が出ない(アンパンマンか)。
あとの祭。
アフターフェスタ(ルー語か)。
豪雨で臭う渋谷川

『半七捕物帳 3 新装版』岡本綺堂著を読む。
 
江戸の情緒や風情とともに江戸の自然の描写が素晴らしい。
冬の雪や夏の雷雨。
浮世絵の世界が動き出す感じ。
犯人の動機が弱いと思うのは、
現代ミステリーに毒されているからだろう。
ぼく的にはやはり怪奇ものに惹かれる。
 
『あま酒売』
老婆が売るあま酒。買った客に不幸が伝播する。
夜、老婆があま酒を売りに来る。
いやはやゾクゾクする。
 
『海坊主』
沖縄でいうところの海人(うみんちゅ)なんだろう。
陸よりも海が圧倒的に強くて。
ただ本能のまま生きているので暴れん坊。
津波や台風の来襲を予知できる。
 
『旅絵師』
幕府の命で、ある藩の内情を探る隠密、草。
旅絵師に扮している。
隠密が地球の内情を探に異星から来たのであればSFだし。
長篇にもなり得る内容。
 
『異人の首』
幕末の江戸。尊王攘夷を御旗に異人を斬首。
活動資金援助の担保代わりに異人の首を差し出すが…。
珍しく途中で異人の首のトリックがわかった。
珍しいことだ。

聞き描き

 

 

 

 

 

新装版 凍りの掌 シベリア抑留記 (KCデラックス)

新装版 凍りの掌 シベリア抑留記 (KCデラックス)

 

  

 

『凍りの掌(て)-シベリア抑留記-』おざわゆき著を読む。

TVドラマ化されたそうだが、未見。

www4.nhk.or.jp

「再放送予定
 BSプレミアム 9月15日(日) 午後0時00分」

 

だそうだ。
 
偶然だが、続けて似た本を読むことがある。
『生きて帰ってきた男-ある日本兵の戦争と戦後-』
小熊英二
http://soneakira.hatenablog.com/entry/2019/08/01/143348
こちらは聞き書き
漫画なので聞き描き。
 
19歳で出征した作者の父親。
満州国で敗戦。
ソ連支配下となる。
移動。乗船させられる。
すわ日本へ帰国かと喜んだが、
シベリアの収容所だった。
 
収容所の全貌が可視化される。
漫画の強さだろう。
資料を探して不足分は想像力で補うしかない作者は
大変だったと思うが。
飢えと寒さ。
過酷な労働が描かれる。

同僚が病気で亡くなる。
自分もいつそうなるのか。
帰国という希望の灯りも日ごとに弱くなる。
共産主義に洗脳されてオルグを行う者。
あらぬ嫌疑をかけて個人をつるしあげる。

収容所を転々とする。
「昭和24年」ようやく帰国。
ほんわかとしたタッチで描かれているから、
余計つらさが伝わるのかもしれない。

にしてもだ。
もう少し召集が遅れていれば
出征しなくてもすんだのに。
シベリアからの帰還兵は「アカ」と白眼視されていて、
著者の父親も市役所の職員に募集するも不合格。
裁判所事務官として再出発する。

突然ですが、質問です。
熱帯と寒帯、入るならどちらの収容所がいい。
究極の選択。
どっちもごめんだね。
 

『無為の共同体』読書ノート

 

無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考

無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考

 

 

「われわれはぁ~」と、タテ看を背にして、全共闘世代は、キャンパス内でアジ演説していた。「われわれはぁ~」が主語だったが、当時、吉本隆明の「共同幻想論」がバイブルだったらしい。

共同体なんてしょせん幻想にしか過ぎない。てなもんで、
特に田舎から親や一族の期待を背負ってきた人たちには、なおさらウケたろう。
だって、プレッシャーだったと思う。
「立身出世、ナンセーンス」というのは、その場しのぎであっても、
公的抑圧からは束の間、解放されたに違いない。
 
無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考」ジャン=リュック・ナンシー著 西谷 修, 安原 伸一朗訳を読みながら、こんなことが頭をよぎった。
以下気になったところをランダムに抜き書き。レアで召し上がれ。

○「共同体の解体という意識は、ルソーの意識である。ルソーによれば社会とは共同的な(あるいは通い合う)親密さの喪失ないしは衰退として認識され再認され、それ以後一方で否応泣なく孤独者を生み出すと同時に、他方では望みどおりに、主権をそなえた自由な共同体の市民を生み出すとみなされている」

 

○「バタイユが共同体の不在と呼んでいるものは、共同体の純然たる溶解ではないからだ。-略-共同体の不在は、あらゆる共同体がその本質からして求める融合、たとえば「古代の祝祭」をとおして、共同体が必ず、「集団的個と呼ぶことのできるようなある新たな個を創造」するという認識のなかに現われる。共同体的融合は、融合の動きを伝播させる代わりに、分離を、つまり共同体に逆らう共同体を再構成するのだ」

 

○「合一も共同存在もない、あるのは共同での存在なのだ、と。いっさいの存在論は、これまで述べてきたような自己への存在としての即自存在に関する論理なのだから、このように<自己への>もつ<共同での>に還元されるのだ。こうしつ存在論の「還元」ないし全体的な再評価、あるいは転回は、まだあまり気づかれていないが、おそらくヘーゲルマルクスハイデガーバタイユ以来、われわれの元で起こっている」

 

 

○「共同体は、個人性そのものを拵えた後の個人の集合なのではない。というのも、個人性はそのような内部の集合でしか立ち現われないからだ」

 

 

○「共同体とは-略-共同の一存在ではなく、一つの起共同での存在であり、あるいは他者と共に誰であるということ、一緒にいるということなのだ」

 

 

○「共同体とは他者たちの共同体である。このことは、複数の個人たちが自分たちの差異を超えて何らかの共通の本性をもっているということではなく、複数の個人が端的に自分の他性に立ち会っているということを意味している」

 

 

○「だからこそ、「われわれ」とは奇妙な主体なのである。そもそも「われわれ」と言うとき、いったい誰が話しているのだろうか。われわれは存在するのではなく-「われわれは存在しない」-われわれは出来する」

 

 

○「共同体とは有限の共同体、つまり他性の、出来の共同体なのだ。そしてそれが歴史なのである」

 

「われわれは存在しない」は、「女性は存在しない」と比肩するほど誤解を招きやすいが、いえてるなあと思ってしまう。個人的なことだけど、子どもも大きくなると、もはやしっかり他者としての人格が形成(あるいは途上)されていて、「他者たちの共同体」-それをつくづく感じさせられる今日この頃。

○「共同体は他人の死のうちに開示される。共同体はそうしてつねに他人へと開示されている。共同体とは、つねに他人によって他人のために生起するものである。それは諸々の「自我」-つまるところ不死の主体であり実体であるが-の空間ではなく、つねに他人である(あるいは何ものでもない)諸々の私の空間である。共同体が他人の死のなかで開示されるとしたら、それは死がそれ自体、諸々の自我ではない私の真の共同体だからである。それは諸々の自我を一つの自我あるいは上位のわれわれへと融合させる合一ではない。それは他人たちの共同体である。死すべき諸存在の真の共同体、共同体としての死とは、それら諸存在の不可能な合一である。」

 

人は死を他者のそれで知る。ぼくの場合、困ったときの中村雄二郎頼みで、
どっかに関連したことが書いてあったよなあと、書棚をガサコソ。
『術語集』に出ていた。
 

「彼(バタイユ-筆者註)は、コミュニズムが<全体主義国家>に陥ることの根本的要因として、その理想の基盤が生産力中心主義にあったことを指摘している」

 

 

「また、バタイユは、共同性は生きた人間や生にだけ関わるものではないことを指摘した。共同性と<死>とは切り離せない。他人の死によって共同体の本質が明らかになるからだ。つまり、共同体とは、その成員に彼らが死すべきものだという真実を教えるものなのである」

 

 
中村は「無為の共同体」をこうまとめている。
 

「(<共同体> -筆者註) は、有用性の観点を超えて、その本質を<無為>なものとすることにより、かえって、共同体は、固定されたもの、制度化されたものを絶えず解体させる働きを持ち、死の暴力性に対して強烈な生を保持することができるのだ、と」

 

 
共同体というと、「有用性」ばかりに重きを置かれてきた。ある意味、功利的に。
アンチ健康主義とでもいうべきなのか。小泉義之が唱える「病の哲学」もこの範疇に包含できるのではないだろか。生産力じゃなくて病産力や死産力。ま、ごろあわせっぽいが。
 
昔、書いたの再録。
 

雨はこわれたピアノさ

『バチェラー・ガール』の出だしのような朝の雨。
天から金ダライが落ちてくる、ドリフターズのコントか。
多数の金ダライが落下して、まもなく晴れる。
スコールじゃん。
 
昨日遅く、携帯電話の留守電に珍しくメッセージあり。
広告会社時代のパイセンからだった。
かけると、アートディレクターの訃報だった。
 
手描きのラフがバツグンで
まんまイラストレーションになるほど。
一時期、コンビでよく仕事をした。
R&Bに詳しくてコンピテープをもらった。
仲間で石打にスキーにも行った。
ふだんは温和で会社員時代はシブいおじさまと女子社員に
人気もあった。
だが、熱狂的な赤ヘルファン。
ヤクルトファンのぼくと神宮球場へ行ったとき、
ふだんとはまったく違うヤジの大声にびっくりした。
 
徹夜明け、寝不足からか転倒して脳を損傷した。
復帰を期待したのだが。
 
知り合いにメールする。
 
『半七捕物帳 3』岡本綺堂
『愛なんてセックスの書き間違い』ハーラン・エリスン若島正渡辺佐智江
マルコムX(上) 伝説を超えた生涯』マニング・マラブル著 秋元 由紀訳
濫読中。
 

水シャワーがくせになる

 

わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019

わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019

 

 

水シャワーがくせになる。
最初は生ぬるい水。

『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019 』
小西康陽著を読む。
『これは恋ではない』の続篇。
 
晶文社のバラエティブックスのてい。
往年のサブカルおじさんにはたまらない。やめられない。
 
カバー写真がNHKFM『これからの人生』のWebサイトのトップページに
使われていたもの。
有名な写真家のものかと思ったら、違った。
 
にしても文章がいい。
にしても読みでがある。
ラーメン全部のせって感じ。
映画、音楽、日々の暮らし。
時おりのぞかせる本心。
 
ぼくが初めて買ったCDがピチカートVの『couples』だった。
20代がYMOだったら30代40代はピチカートV。
サウンドと作詞のセンスに脱帽した。
西寺郷太のラジオ番組で著者がゲスト出演したとき、
「詞先、曲先、どちらなんですか」
と聞かれて
「同時です」と答えていた。

NHK-FM『これからの人生』や
TBSラジオ『 SoundAvenue905』も
愛聴した。
DJの選曲感覚と編集センスは似たところがあるのかも。
 
2013年4月7日の日記を引用。
 

倉多江美好きな人多いんだな。倉多江美樹村みのり
オレにとって少女マンガはこの二人だけ。後は読んだことが
ないです。森雅之も、オレにとっては少女マンガ。かも。」

 


インターリュード的意味合いの西村ツチカの漫画が、
レトロでポップで効いている。
かまやつひろしとロンドンへ行った記事が再録されている。
初出の『Gulliver』で読んでいた。

後半の『日記 2013-2018』は、日記マニアなら必読。
これも植草甚一へのオマージュなのだろうか。
 
この結構重たい本を移動中に読もうと
デイパックに入れて歩いていた。
渋谷・並木橋近くで
著者らしき人と遭遇した。
東京だと似ている人は割と本人だ。
以前松濤の坂道で谷村新司とすれ違った。
テニスウエアで小柄だったが、灼けていて精悍な感じだった。
そうでないこともあるが。
恵比寿から、代官山から。どちらから。
映画見た帰りかな。
スグリーンの麻布のリュックに
手に紙バッグ。
ぼくが大学生ならすかさず本とペンを出してサインをもらったが。
 

ハン・ガンびいき-2

 

回復する人間 (エクス・リブリス)

回復する人間 (エクス・リブリス)

 

 


夏のせいだから。
原稿を書くのを忘れていた。
と、いうわけではないんだけど。
昨日から取りかかる。
一応資料を集めて読んでいたので助かった。
さっき書き終える。

『回復する人間』ハン・ガン著 斎藤真理子訳を読む。
 
病気が治るというが、そうだろうかと思う。
快癒したとしてもそれは以前の状態とはまったく同じではない。
回復ではなくて寛解が妥当なように思える。
でも諦めない以上、生きることには何ら変わりない。
 
この短篇集に出て来る人たちは
心や身体に見える傷や見えない傷を持っている。
その傷が一応癒えた人、
途上の人、まったくあかん人。
その傷みや辛さをなめ合うように読む。
ひりつく、いらつく、むかつく。
でも、グイグイ吸い込まれていく。
 
短篇3つの短い感想。
 
エウロパ
大学時代に好きだった女の子。
でも結婚が決まっていて本心を言えず。
離婚した彼女となんとなくつきあっている。
離婚後、鬱となった彼女はとにかく働く。
彼女は再び音楽をはじめ、ライブにでる。
魅力的な声と楽曲。徐々に人気が出る。
「僕」は女装して彼女とデートする。

『左手』
パントマイムで手足が意志を持って
勝手に動き出す芸がある。
そのように突然、左手が脳からの指令を無視して
暴れ回る。
社会人の常識をわきまえている妻子持ちの銀行員が主人公。
左手は本心、本音、恥ずかしい欲望を
暴露するかのようにあばれる君。
しまいには左手を葬ろうとさえする。
シュールというかSFチックな風味。

『火とかげ』
ポケモンのキャラではない。
事故により結局両手が不自由になった画家。
「左手のピアニスト」は実在するが。
苛立ち、夫と気まずい関係。
記憶もかなり喪失する。
そんなとき、旧友から写真館になぜか主人公の写真が飾ってあると。
その写真を撮った男のことを思い出す。
写真館で「10年前の」写真を探してもらう。
名前さえ知らなかった彼の電話番号も知ることになる。
その些細な出来事が彼女をアトリエに向かわせる。
「描け!」と声のない声が命じるかのように。

真夏でも冷え切った心の中が温かくなる。

TVドラマはほとんど見ないが、
『凪のお暇』は見ている。
相通じるものがある。
 

ハードボイルドだど

 

半七捕物帳〈2〉 (光文社時代小説文庫)

半七捕物帳〈2〉 (光文社時代小説文庫)

 

 


『半七捕物帳 2 新装版』岡本綺堂著を読む。

半七の会話や推理、行動に
ハードボイルドを感じてしまう。


大昔、北方謙三先生に取材したことがあって
取材後の余談で
「ハードボイルドはレイモンド・チャンドラーだけじゃない。
山本周五郎もハードボイルドですぜ」
と言われたことを思い出した。


ハードボイルドって究極のやせ我慢だと思うんだけど。

 

でも、いちばん気にいったのは
『筆屋の娘』。
その店で筆を買うと美人姉妹が
筆先をなめてやわらかくしてくれるサービスが付く。
うっすらと紅がついた筆先。
店は大繁盛していたが、突然、姉妹が亡くなる。
半七が参上。
谷崎潤一郎も真っ青のヘンタイチック。
ハラショー!!

 

次に気に入ったのが
『槍突き』。
ある時期、江戸で槍で突かれる殺人事件が頻発する。
名探偵コナン』ばりの町道場の息子が
女装で犯人を捕まえようとする。
なぜか黒猫が槍で突かれて死んでいた。
化け猫の噂も流れる。
動機は華やかな都会暮らしへの嫉妬とか。


書きますた 漫画の構成も。
オリックス生命 BAKUBAKUヴィレッジ
カイセツ教授のビジネス・コーチング 子育て応用編
第2回 「スケーリング・クエスチョン」
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