「現代は、死という契機を通過しなければ生に辿り着けない時代なのかもしれない」

 

 


すっかり読んだ気になっていた『病の哲学』小泉義之著。最後のあたりを読み残していたので、読んでしまう。

 

わかったところ、わからないところ、同調できるところ、できないところ、むくむくと小波が沸き立つ。二箇所引用。

 

「現代は、死という契機を通過しなければ生に辿り着けない時代なのかもしれない。本書が示したかったことは、死を通過して辿り着くべき生は、病人の生にほかならないということである。今後、病人の肉体という個体についての科学が生まれるだろう。そして、病人の生に相応しい哲学と思想が書かれるだろう」

 

胃ろうなどの延命措置とかかな。管だらけの身体で確かに生物学的には死んではいない。生きていることは生きている。個人的には延命措置は望まない。国民健康保険証の裏面に表記してある臓器提供は、躊躇しているが。

 

「これは近代社会に限ったことではないが、人間の社会は災いを転じて福となしてきた。品の無い言い方に聞えるだろうが、他人の不幸を食い物にして多くの人間が飯を食えるようにしてきたのである。社会的連帯とは、経済的にはそのようなことである。そして、これは、悪いことではなく、途轍もなく善いことなのである。だから、シンプルにやることだ。誰かが無力で無能になったら、力と能力のある者がそれを飯の種にできるようにするのである」

 

「社会的連帯とは」獲物をシェアすること、か。一見、冷たい物言いに思えるかもしれないが、ヒューマニズムの偽装、エセ人道愛よりは、毅然としていてよいのではなかろうか。たぶん、ホンネは、そういうことだと思うし。

 

いま読み出した『思いがけず利他』中島岳志著とリンクするような。

 

作者が示唆しているあたりは、この国のさらなる老人大国化と止まらない少子化により、早晩、考えねばならない問題となる。つーか、なっている。


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統計学に強いスピってる黒衣の天使

 

 

『超人ナイチンゲール』栗原康著を読む。

 

フローレンス・ナイチンゲールというと、クリミア戦争の白衣の天使とか、看護システムを構築した人ぐらいしか知らなかった。あ、あとは統計学を駆使してエピデミック(小規模パンデミックってことかな)を抑制したとか。

 

著者が著者だけにどんな評伝になるのか。これがマジおもしろい。ナイチンゲールの生涯をおもしろいとは不謹慎だと思われる人は著者が記載した参考文献を読み漁りなされ。

 

まず知らなかったのは、とんでもないお金持ち、ハイソのお嬢さんだったこと。両親が欧州漫遊していてフィレンツェで生まれたから、フローレンスという名前をつけた。
元祖花の都だもんね。

 

生まれついての旺盛な好奇心。これはわかる。それから16歳の時の神秘体験。日記の引用の引用。

「1837年2月7日、神は私に語りかけられ、神に仕えよと命じられた」

 

母に連れられて「農民小屋へ行く」。そこには飢えと病に苦しむ貧民がいた。この人たちをケアすること、救うことが「天命」であると思う。そのために看護師になることを決意する。24歳の時である。

 

ようやく看護師になるために実際にアクションを起こしたのは、なんと30歳。看護学校を出たものの、看護師に就くことは母親が猛反対。結婚すると、看護師の夢は遠のくので、相思相愛の男性とは泣く泣く別れる。当時の医療や慈善関係のハイソな人々の協力を得て外堀を埋めていく。そうこうするうちに月日が経ってしまった。

 

アイルランドカトリック修道院に併設された病院やパリの修道会を見学に行く。
彼女は「ロンドン・ハーレー街にある療養所の管理責任者」となった。そこで発明したのが「配膳用エレベーターとナースコール」。

 

クリミア戦争が勃発。イギリスはフランスと共にオスマン帝国支援のため、ロシアと戦う。近代戦争の始まりは第一次世界大戦といわれるが、すでにクリミア戦争からスタートしたと。最新兵器により死傷者は圧倒的に増える。多数の負傷兵は十分な看護を受けることができない。不衛生な環境、恐ろしい「感染症」も猛威をふるう。

 

ナイチンゲールは自費でクリミア行きを決める。同時に、政府から「看護団の総監督就任」が要請された。彼女がすごいのは強引なまでの突進力。ひどい環境の野戦病院。責任者(軍人とか官僚とか)は彼女のことをうざがる。すると、知り合いのエライさんから根回しする。政治力がすごい。

 

クリミア戦争で日増しに増える負傷兵。足りない施設、用品、食糧品などなど。待っているうちに死んでしまう。どーする。私財を投げうった。破壊されたままの病棟は、人を自ら雇い入れ、改修した。

 

背に腹は変えられない。倉庫に、たんまりある補給品を傷病兵のために強奪した。
「ハンマーをもった天使はこういった。強奪はケアでしょ」

「日銭」稼ぎで新聞記者をしていたマルクスも絶賛した。

 

兵舎病院を徹底的に衛生面と食事面の改善に取り組む。その結果、死亡率は著しく低下した。

 

次に彼女が取り組んだのが「クリミア戦争の報告書」だ。「近代統計学の祖、アドルフ・ケトレー」の本をもとに、「統計学を駆使して1000頁の報告書」を作成した。
クリミア戦争の死亡率を統計でしめす。グラフ化する」ケトレーらに助言を求めた。
理系女子の面目躍如ってとこ。


ナイチンゲールの思想を作者は「脱病院化」とよんでいる。

 

「「病院」を前提とすることであたりまえになっている、治療する側と治療される側の垣根をこえようとしていたのだ」

彼女いわく
「看護はひとつの芸術であり、それは実際的かつ科学的な、系統だった訓練を必要する芸術である」

 

「救うものが救われて、救われたものが救っていく。日常生活のなかで、そんな新しい生の形式をつくりだすことができるかどうか。それにふれた人びとの魂をどれだけゆさぶることができるのか」
作者らしい暑苦しい文章だが、これがケアなんだと。

「国家にケアをうばわれるな」


彼女は白衣ではなく黒衣の天使だった。若い時の無理がたたったのか、後半は体調を崩していたそうだ。享年90。思った以上に長寿だったが。

 

映画化するなら、エマ・ストーンが演じればいいと勝手に思う。

 

フローレンス・ナイチンゲール

劇団四季ミュージカル『ゴーストアンドレディ』

原作漫画『黒博物館 ゴーストアンドレディ』藤田 和日郎




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ペンフィールドの脳の中のこびと(ホムンクルス)

 

 

『脳のなかの幽霊』V.S.ラマチャンドラン サンドラ・ブレイクスリー著を読む。

 

幻肢から人の意識、脳の働きに踏み込んでいくのだが、ユーモアを交えたあたりがいい感じ。

 

茂木健一郎ファンならおなじみの「ペンフィールドの脳の中のホムンクルス(小人)」の三次元模型の写真がP.57に掲載されているのだが、ナンセンス漫画家榎本俊二のキャラにソックリで吹き出した。

 

豆知識。榎本が通っていた映画専門学校の同級生が阿部和重。二人の対談を読んだことがあるけど、どの雑誌だったかは失念してしまった。

 

ペンフィールドホムンクルス(小人)」って大英博物館にいまもあるのかな。ミイラ像しか記憶にないぞ。検索してみたら、あるらしい。でも、画像は発見できなかった。リンクしたかったのに。


ミイラやツタンカーメン像はもういい加減、エジプトに返還したらどうなの。…で、諦めずに探したらあった。


こんなのが「大脳皮質の表面にぶら下がっていたら」と思うと、キモ楽しい。実際は、ぶら下がってはいないんだけど。

 

ペンフィールドホムンクルス(小人)は、「顔や舌、親指が異常に大きく、奇妙な形のコビトの図で、大脳の運動野や体性感覚野に体の部位を対応させて描かれている」


要するに人はそれだけ脳の指令により顔や舌、手をよく使っているそうな。だから手先を良く動かすことは脳の活性化になるそうだ。

 

ちょっと違うけど、ブライアン・W・オールディス の『地球の長い午後』に登場するアミガサダケを連想してしまった。

 

 

参考までに、こちらを。

jns-invitation.jp

 

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スペルミスから生まれた「Macintosh」

 

 

スティーブ・ジョブズ―偶像復活』ジェフリー・S・ヤング+ウィリアムス・L・サイモン著を読み中(って懐かしい言い回し)。別にぼくはマックシンパでもなんでもないけど、スティーブ・ジョブズのカリスマ性には興味があった。

 

かなりファナティックな人で奇人・変人と天性のディレクター&バイヤー&宣伝マンの資質が備わった特異な性格は、なかなか魅力的。いっしょに仕事したいとは思わないけど。

 

オタッキーなヒッピーかと思ったら、クリエイションよりもディレクション、束ねる方に才がある人だったんだ。

 

ラスキン*は、大衆向けの小型で安価なコンピューターを作りたいと考えた。少人数のグループを率いて、1979年のクリスマス・シーズンだけという驚くほどの短期間でプロトタイプを作りあげた。コンピューターの名前は「マッキントッシュ(Macintosh)」。
社名のアップルにならい、自分の好きなリンゴの種類、「McIntosh(旭りんごのこと)」にちなんだのだが、スペルを間違えてしまったのだ。最終的には、そんなことはどうでもよくなる」

 

いい話じゃ、あーりませんか。


じゃあ、近い将来、ものすごいコンピュータをアップル社が考案したら、次の新ブランド名もりんごなのかな。と、おやつにりんごをかじりながら考える。

 

スティーブ・ジョブズは、ポルシェをつくりたかったのか、フォルクス・ワーゲンをつくりたかったのか。先を読むとわかるのかな。

 

ウィキを読むとスティーブ・ジョブズラスキンを放逐。後に、自身も追放。で、ご存知、奇跡の復活。ドラマチックやなあ。

 

*ジェフ・ラスキン(Jef Raskin,1943年3月9日 - 2005年2月26日)は、アメリカのコンピュータ技術者。Apple Computerのマッキントッシュの開発を立ち上げたことで有名である。


出典:ジェフ・ラスキン - Wikipedia より


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続・近代の日本人の「精神の歴史」を読み解く

 

 


『日本精神史  近代篇 下』長谷川 宏著を読む。


下巻は、軍国ファシズム下から敗戦後、高度経済成長下を経ての「日本の美術・思想・文学を、人々の精神の歴史として描く」。感じたことなどをとりとめもなく、引用多めで。


〇『細雪』が「陸軍報道部の圧力で連載中止」となった。しかし、谷崎潤一郎は「ひそかに書きつづって」いた。「戦争の影をほとんどとどめない」ことは、作家として「戦争の時代に抗する」姿勢だと。

 

〇旧制中学時代に聴力を失った画家・松本俊介。そのため戦時下、招集されることもなかった。「負い目」を越えて「清澄かつ静謐な街の佇まい」の風景画を描く。「空襲が激しくなった」東京に単身居残って絵を描き続けた。好きな一枚を画像で。

 

〇敗戦後、詩人・中野重治河上徹太郎の「配給された自由」という新聞記事に噛みつく。「「配給された自由」という言い方は、気がきいているようにみえる、いまの日本の自由と民主主義とが、全国的に国民の手でもたらされたものでないという事実から、
この気のきいてみえることがいっそうそういうものとして通用しそうな外観をもっている。しかし、それだからといってそれが正しい言いあらわしであるかどうか」。評論『冬に入る』を刊行する。題名に込められた真意は。大本営発表で軍部に忖度したマスコミの手のひら返し。どの口が言う気分だったのだろうか。


田村隆一の「立棺」という連作詩の一文。
「地上にはわれわれの国がない
 地上にはわれわれの死に値する国がない」
「それは死者の声であるとともに、敗戦後の荒野に立つ田村隆一の声でもあった」
「荒野」を「荒地」にすればいいのに。田村は、滋賀海軍航空隊で敗戦を迎えたそうだ。

 

〇「花森安治と「暮しの手帖」」

大政翼賛会で国策広告を手がけた花森。1971年週刊誌編集者のインタビュー記事より。
「ボクは、たしかに戦争犯罪をおかした。言い訳をさせてもらうなら、当時は何も知らなかった。だまされた。しかしそんなことで免罪されるとは思わない。これからは絶対だまされない。だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている、と思っている」
暮しの手帖」の巻頭メッセージを久々に読んだが、まったく色褪せていない、


大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』を題材に。
「ゆとりや優しさのもてはやされる(高度経済成長)時代に、その背後に横たわる冷酷で非人間的な監視体制や差別意識を見ないではいられなかった大江は、絶望のなかでの抵抗と、抵抗のなかで主体に見えてくる絶望とを形象化することによって、現実社会を生きるとはどういうことかを読者に厳しく問いかけようとしたのだ」 


うまくまとめられそうにもないので最後に目次をまんま引用。

 

「【目次】
第十一章 軍国ファシズム下における表現の可能性
1谷崎潤一郎/2松本竣介
第十二章 中野重治――持続する抵抗と思索
1戦前の作品/2戦時下の作品/3戦後の作品
第十三章 敗戦後の精神――貧困と混乱のなかで
1戦後の詩/2戦後の小説/3戦後の美術
第十四章 戦後の大衆文化
1日本映画の隆盛/2生活文化の向上をめざして/3子どもを愛し、子どもに学ぶ
第十五章 高度経済成長下の反戦・平和の運動と表現
1原水爆禁止運動、米軍基地反対闘争、反安保闘争/2戦争の文学(一)/3戦争の文学(二)/4戦争の絵画(一)/5戦争の絵画(二)
第十六章 時代に抗する種々の表現
1堀田善衛日高六郎/2大江健三郎石牟礼道子中上健次/3木下順二唐十郎別役実/4つげ義春高畑勲宮崎駿

 

 

松本竣介 Y市の橋

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リスクを乗り切るための数学、リスクを乗り切るための確率

 

 

『確率的発想法 数学を日常に活かす』小島寛之著を読む。

 

どうも「確率」は、誤解されている。ふだん誰もが確率的判断をしているはずなのに。そこには「数学の確率理論」が「通底している」と。ならば「確率を有効利用しよう」と、作者はこの本でさまざまな事象を踏まえて、確率的発想法の「すべ」を紹介している。


そもそも確率的発想法とは何か。作者曰く「不確実性をコントロールするための推論のテクニック」。

 

たぶん、いちばんおなじみなのが、「リスクの分散」。資産運用における「分散投資」もそうだし、仕事の取引先もそう。全部同じところではなく、数社ずつ小分けにしてつきあう。そうすれば、一社がコケたとしても、なんとか被害を最小限にしておくことができる。

 

また、「人は何か勝負」する場合、「固有の癖があって、それを読まれてしまい、負けることもある」。「それから脱出するには乱数による攪乱を利用する」と。プロ野球の乱数表は、そのためだったかと、納得。

 

しかし、確率は万能ではない。作者は「インフォームド・コンセントの落とし穴」についてこう論じている。統計は平均的なデータであって、個々人で症例が異なる患者には当てはまらないと。

 

「手術が失敗したとて、成功する確率が九十%あったがあなたは残念ながら十%のほうだった、といっても患者は納得できない、という点です。患者にとって大切なのは、確率ではなく結果のほうだからです」

「このように、医師と患者の間で確率情報が交換されるとき、そこに客観と主観のすり替えが行なわれます。つまり、決して正確な情報伝達ではないわけです」

 

ふむふむ。確率の見積り方では、注目を集めている「ベイズ推定」の記述に興味を覚えた。だけど、平易に説明なんてムリな話なので、こんな使われ方ができるという実例でお茶を濁らせていただく。

 

このベイズ推定を利用すれば、ネットショッピングの場合、「消費者からの『問い合わせ』という『結果』から『購買意欲』という『原因』にさかのぼること」ができるそうだ。すなわち、それは「消費者の動向」を即時に把握することができるとか。

 

確率的発想法のフィールドは広範。本書でも経済はもとより、社会問題から環境問題までを扱ってみせている。複雑な数式も極力排除してあるとかで、どちらかというと、論理学の本に近いようだ。計算だけではない新しい数学、そのさわりを知ることができる。


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近代の日本人の「精神の歴史」を読み解く

 

 

『日本精神史  近代篇上』 長谷川 宏著を読む。迂闊にも『日本精神史』という前著があったことを知らずに読み出した。

 

在野の哲学者として知られる著者が歴史、しかも近代の日本人の「精神の歴史」を書くとは。どのようなものかと読み進む。


「はじめに」から引用。

「さて、江戸の終わりから明治の初めにかけて日本の歴史は大きな転換期を迎える。それまではやや遠くに眺めやられていた西洋の文明が、すさまじい勢いでこの極東の島国に流れこみ、日本はまたたくまに「近代」の名で呼ばれる時代に突入する」


その昔、網野善彦の『日本の社会の歴史』(岩波新書) 上中下巻を読んだが、下巻の近代になると急にそれまでの魅力が薄れてしまったことを思いだした。

 

「探求の手法は、『日本精神史』(上・下)を引き継いでいく。すなわち、日本近代の美術と思想と文学の三領域にわたる文物や文献を手がかりに、そこに陰に陽に示された精神のありさまをことばにするというやりかただ」


以下、つらつらと。

〇近代洋画の先駆者、高橋由一の作品「豆腐」や「鮭」を見ると、スーパーリアリズムの絵画に見える。「絵というものは精神のなす仕事なのだ」というのは名言。

 

〇大ベストセラーとなった『学問のすすめ』の著者、福沢諭吉。「その啓蒙思想は時流に乗ってあからさまに富国強兵策・対外強硬策を推奨するものへと変質していった」。
その理由を「個としての人間一人一人を、独自の思考と感情をもつゆたかな主体的存在としてとらええない人間観の貧しさにあると思う」と手厳しい。

 

坪内逍遥二葉亭四迷が「リアリズム(写実主義)の名で呼ばれる西洋近代小説」をいかに日本文学に定着させるか。いわば産みの苦しみを知る。言文一致。二葉亭四迷三遊亭円朝の語りを参考にしたのだが。小説よりもツルゲーネフの翻訳の文体がきわめて魅力的。村上春樹がデビュー作『風の歌を聴け』で、一部英文で書き、それを翻訳したそうだが。西洋式の恋愛を掌握するのは漱石や鴎外の出現を待たなければならない。日本語のロックや日本語のラップから考えると似た図式で興味深い。

 

〇「第七章 韓国併合大逆事件」では、権力の凄まじい蛮勇ぶりに唖然とした。大逆事件で死刑となった幸徳秋水たち。結果的に生き残った堺利彦。もはや「反体制運動」どころではなかった。「堺にとって明るさを失わないようで生きることが人間的に反体制を生きることだった」この一文が滲みる。

 

〇「第八章 民族への視線、民芸への視線」では柳田国男柳宗悦を取り上げている。
「国家の主導した戦争によってもっとも大きな痛手を蒙ったのが村の人びと、家の人びとだったことからしても、地方の村や家に依拠する民俗学は、村や家の共同性と国家支配の共同性との切断と不連続をこそなにより問題とすべきだった思われるのだ」
「(柳の)民芸への愛と敬意が人びとの日常の暮しへの愛と敬意にしっかりと結びついた思索と実践は、個をつらぬいて生きるのが困難な時代に類稀な思想の強さを発揮したのだった」

 

「美術と思想と文学」を串刺しにして人びとの「精神のありさま」をあぶりだすという方法は新しく、知らなかったこと、改めて知らされたことなど、まさに、目からウロコ状態。

 

上からではなく市井の人の視線から近代を見つめる。雑誌『思想の科学』の後継といっても言い過ぎではないだろう。

 

高橋由一「豆腐」「鮭」

 

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