「仏蘭西のポオと呼ばれ」

 

夜鳥 (創元推理文庫)

夜鳥 (創元推理文庫)

 

 

『夜鳥』モーリス・ルヴェル著 田中早苗訳を読む。
 
仏蘭西のポオと呼ばれ」る著者の短篇集。
新青年』に掲載されたもの。大正や昭和初期ですぜ。
怖い話や残酷な話ばっかかと思ったら、いい意味で裏切られた話もある。
なるほど、そういうオチで来ましたか。
手替え品替え、なかなかのストーリーテラー
ゆえに「仏蘭西のポオ」は、100パー当たってはいない。半分は当たっているけど。
 
たとえば
『幻想』
寒さと飢えで死にそうな盲目の物乞い。憐れんでご馳走してくれたのは、同業者だった。久方ぶりの温かい食事。そして同業者は…。一切を見ていた盲目の物乞いの犬。
 
『暗中の接吻』
もつれた恋愛から女は男の顔に硫酸をかける。男は裁判でも女を守り、「放免」を懇願する。そのかいあって。女は感謝の気持ちを述べる。最後に「別れの接吻を」。この瞬間をじっと待っていた男。硫酸の入った小瓶を女の顔に。復讐劇の王道。

『ペレゴレーズ街の殺人事件』
夜汽車のなかで殺人事件について話をしている「老紳士と、若い男と、ごく若い女」。
それぞれが動機などを勝手に推理して犯人像を探る。ま、恰好の暇つぶし。ところが、まさか。
 
巻末に『新青年』に掲載された作家のエッセイが。
『「夜鳥」礼讃』で小酒井不木は、

「ポーほどの怪奇美は見られない。その代わりにポーには見られないペーソスがある」

 と。

『少年ルヴェル』で江戸川乱歩は、

「ポーは大人で、レヴェルは少年だという風に感じられる」

 腑に落ちる。乱歩の批評眼の鋭さ、的確さよ。

 

たとえば殺人事件のネタ明かしなどは、目の肥えた
小姑根性的な現代ミステリーマニアのあなたには、ちゃちいく思われたり、
納得いかないかもしれない。でも、それはそれで味になっている。
 
確かに訳は古いんだけど、短篇の鮮度は落ちていない。
それが格調の高さや人間のあかんところをより切実にあらわされているような気がする。
確かラブクラフトはあえて擬古文体で作品を書いていたらしいが、
ルヴェルはどうだったのだろう。
新訳でも読みたい気はするが。
 
岡本綺堂の『半七捕物帳』に通じるものがある。語学な堪能な綺堂だから噂を聞いて原書で読んでいたかもしれない。あ、エビデンスはないっす。