きみは、ピエール・バルーを知らない

 

 

ピエール・バルーとサラヴァの時代 』松山晋也著を読む。

 

きみは、ピエール・バルーを知らない。
クロード・ルルーシュ監督の『男と女』で、
ギターを弾きながら『サンバ・サラヴァ』を歌っていた男だ。
いろんな映画があるけれど、『男と女』がいちばん好きな映画。

 

『サンバ・サラヴァ』の原曲は、
『サンバ・ダ・ベンサフォン』(祝福のサンバ)。
この曲にピエール・バルーが、フランス語の詩をつけた。
(なんてエラそうに言ってるけど『The BOSSA NOVA』の
ライナーノートからのパクリ)

 

彼は、インディーズ・レーベル、サラヴァを立ち上げ、
ブリジット・フォンテーヌをはじめとして
数々の魅力的なアルバムをリリースしてきた。

 

ブリジット・フォンテーヌとアート・アンサンブル・オブ・シカゴの
コラボレーションによる『ラジオのように』のカッコ良さは、
ビョークのさきがけって言えばわかってもらえるだろうか。

 

きみは、ピエール・バルーを知らない。
『花粉』というアルバムは、加藤和彦高橋幸宏ムーンライダーズなど
彼をリスペクトする日本のミュージシャンたちが
サポートしたものだが、
音楽純度の高いアルバムで、いまでもお気に入りの一枚。

 

大昔、北海道に行った時、カセットテープに彼の作品を入れて、
札幌から函館までの4時間、イヤホンで聴いていた。
流れていく北の夏の風景に、この上ないB.G.M.だった。
特急電車の車窓に、随分の数のサッポロ黒ラベルのカンが並んだ。

 

きみは、ピエール・バルーを知らない。
でも、ボサノヴァは好きだよね。
アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルト
ナラ・レオン小野リサ…。

 

だったら、晴れた日の午後にでも、恋人か友達と、
屋上にデッキチェア、あるいは
おまけでもらったレジャーシートを
持ち込んで、聴いてみよう。

 

優しかったり、どこか懐かしかったり(これがサウダージ)、
温かかったり、人間の声がする。
やたらシャウトしたり、
絵空事の革命を韻を踏みながら歌ってはいないけれど、
きっと自然に、染み込んでくる。


大の字になって、雲や青い空なんかを、見てみよう。
つっぱってる気持ちやトゲトゲしい気分が氷解していく。

 

きみは、ピエール・バルーを知る。
そして、きっと、たまらなく好きになる。


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ウルフ姫の8つの玉―「自分で編んだ唯一の短編小説集」

 

月曜か火曜

月曜か火曜

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『月曜か火曜』ヴァージニア・ウルフ著  ヴァネッサ・ベル画  片山亜紀訳を読む。

 

これまで著者の短篇は、いろんなアンソロジーやいろんな訳で読んできた。この本は「ヴァージニア・ウルフが自分で編んだ唯一の短編小説集」。印象的な挿画の木版画は、実姉によるもので、夫の出版社から刊行されたとか。

 

本編と同じくらいのボリュームのある訳者解説を読むと、異なるテイストのこの短篇集が、後の「『ジェイコブの部屋』『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『オーランドー』」などの優れた長篇小説を生む契機になったそうだ。

 

『ある協会』
カッサンドラは女性たちと協会を設立する。そこでは、男性社会のさまざまな弊害や矛盾を指摘、告発を目的にしていた。その最たるものは愚かな戦争なのだが。

 

『月曜か火曜』
アオサギが見つめる人間と社会。アオサギというと、スタジオジブリ君たちはどう生きるか』の「アオサギ」。その飛翔ともろかぶる。


弦楽四重奏
クラシック音楽のコンサートに来た「私」。音楽は好きだが、そこに集う着飾った、通ぶった人びとはどうも好きくない。ああ、わかる。音楽ではないが、かつて岩波ホールへ映画を見にいったときを思い出した。

 

下記の作品は、『ヴァージニア・ウルフ短篇集』ヴァージニア・ウルフ著 西崎憲編訳を参照されたし。

 

『幽霊たちの家』西崎編訳では『憑かれた家』

『書かれなかった小説』西崎編訳では『書かれなかった長篇小説』

『青と緑』

『キュー植物園』

『壁のしみ』西崎編訳では『壁の染み』

 

『壁のしみ』のこの一文が、なぜか、いまと似ている。

「新聞なんて買ってもしょうがないけどさ…。なんにも起きないし、まったく、この戦争ときたら!こんな戦争、ほとほといやになるな!」

 

南総里見八犬伝』では、伏姫の護身の数珠から8つの玉が飛び散った。この本に収録されたされた短編も8篇。ウルフ姫の数珠のようなものかと思うのは、深読みし過ぎか。

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恋する絵画―18枚の絵画とその画家とモデル、18のラブストーリー

 

 

『彼女はなぜ愛され、描かれたのか: 大人のための恋愛美術館』山口路子著を読む。

 

あなたは、なぜ美術館に足を運ぶのですか。見たい絵があるから。画集でいつも眺めていたあこがれの本物の絵が間近で見ることができるから。ウィーンまでは遠いが、上野の美術館なら金曜日は遅くまで開館しているので、会社帰りに立ち寄れるから…。

 

一枚の絵に、秘められたドラマは、見る者の感性を揺さぶり、忘れていたことを思い出させたり、新たな発見があったり、あるいはただ単に、あわただしい日常からしばし心を解き放たせ、満ち足りた時間を与えてくれる。

 

ちょっと妙な表現かもしれないが、その感動の量は、大画面で最新デジタル技術を駆使した映画にも決してヒケを取ることはないだろう。絵には当然のことながら動きもない、説明もない、音楽もない。しかし、こちら側に想起させる分だけ、むしろ豊かかもしれない。

 

本書は、作者が思いをはせていた18枚の絵画とその画家とモデルの18のラブストーリー、そこに作者自身の絵や恋愛への思いを織り交ぜながら書き綴られている。

 

誰しも経験があると思うが、恋愛がパワーとなる時がある。ましてやアーティストにとっては、作品のモティーフとなったモデルとの出会いが、恋愛の導火線となり、創作への起爆剤となったのではないだろうか。

 

理不尽、忍耐、激烈、沈黙、別離、傷心、奔放、嫉妬…。その時々に純粋に燃焼したさまざまな異なる愛のカタチ。どれとして同じ恋愛はない。あたかも、どれとして同じ絵がないように。

 

作者の絵に対する洞察は鋭く、飾らない言葉に強い共感を覚える。随所に作者の本音や愛の告白が顔を覗かせ、秘密の心のノートを盗み読みしているかのように感じさせる。

 

熱かったり、悲しかったり、胸のたけを独白しているきわめて私的なアプローチは、美術史上の有名な名画、知識としての名画ではなく、より身近な作品として、新たな魅力を引き出している。

 

たぶん、この本の中に、あなたの好きな絵があるはず。好きになった絵があるはず。そして知らなかった現実を知る。一枚の絵に秘められた恋物語を、毎夜、一篇ずつひもといていくのもよいだろう。


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「Kは孤独である。と同時に孤独ではない。なぜならー」

 

 

『K+ICO』上田岳弘著を読む。

 

コロナ禍の頃、有名な渋谷のスクランブル交差点で四方に自転車に乗ったウーバーイーツの配達員を見かけた。営業自粛や営業時間の短縮で、なんとかデリバリーで生き延びようとする飲食店には救いだったのだろう。同じく仕事がなくなったフリーランスは、しのぎとしてウーバーイーツの配達員になった人もいた。 

 

暗号のようなタイトルだが、当然、意味がある。


Kは大学で法学を学ぶ学生だが、現在は、ウーバーイーツの配達員の方がメインとなっている。息抜きで聴くのがカフカの小説『城』のオーディオブック。KはヨーゼフK、カフカのKからとったものだろう。彼の将来の目標は弁護士になること。弱い人、貧しい人の弁護ってわけではなく、単純に稼げそうだから。動機が不純だろうか。ぼくは、そうは思わないが。

 

ICO(イコ)は女子大生。なんとなく始めたTikTokerが思いもかけず人気となり、高収入を得るようになる。顔バレ、身バレしないように気をつかいながら配信している。地方出身者のICO。実家は決して太くなかったので当初の生活は厳しかった。それがいまや都心の2DK暮し。ブランドものも買える。割高だけど、スマホでいつでも食べたいものを届けてくれるウーバーイーツは欠かせない存在だった。大学の友人をもう一人のICOに仕立て、さらなる配信増を狙う。

 

しかし、彼女はウーバーの配達人をなぜか見下していた。著名な(元)コピーライターが彼らを不潔とささやいて物議を醸したように。エッセンシャルワーカーなんだろね、ウーバーの配達人も。

 

ウーバーの配達人と常連客の間柄。それはオンライン上での関係。でも、何をしているのかは知らない。

 

ある夜、酔ったICOは、Kにからむ。クールに対応するK。

 

別な日。Kの走る姿を邪魔くさいと思いながらハンドルを握る母親。息子Kが同乗していた。お受験のための模擬試験の成績が良くなかったことも苛立ちの一因となっていた。
「等価以上交換」これが母親のモットーだった。だから、外資系証券会社の男と結婚した。息子の将来を考えると不安になる。ウーバーイーツの配達員にでもなったら、どうしよう。

 

真夜中、公園で一人でいる子どもを見かけたK。子どものKだった。なぜ、一人で。母親へ連絡をとると…。

 

オーディオブックはカフカの『審判』に変わっていた。

 

もう一人のICOは事故に遭い、入院中。ICOは久しぶりにデリバリーを注文する。ウォルトの配達員が来る。見覚えのある顔。Kだった。彼は、一時期アメリカでウーバーイーツの配達員となったが、やはり東京の街が良いとすぐに帰国。さらにウーバーイーツよりも企業規模が大きいウォルトに転職した(知らなんだ)。

 

見舞いに行き、病院先からウォルトに注文する。ICOはKと話す。でも、何をしているのかは知らない。

 

カフカの不条理的世界を源流にした、ネット縁という希薄な人間関係をとらえた作品。

 

 

「Kは孤独である。と同時に孤独ではない。なぜならー」
ICOは孤独である。と同時に孤独ではない。なぜならー」

繰り返される、このフレーズがおまじないのように心に響く。

 

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においは、なぜ抑圧されてきたのか

 

 

『匂いのエロティシズム』鈴木隆著を読む。

 

においは、「匂い」とも書くし、「臭い」とも書く。ある人にとってはたまらなく良い匂いなのに、別な人にとってはたまらない臭いということが、ままある。最近では、オヤジくさいといわれる素を突きつめて発見された加齢臭(それを抑制するさまざまなものが製品化されている)、匂いや香りがダイエットに効果があると言われているなど、においの世界はまだまだ奥深いようだ。

 

作者は日本を代表する香料会社の調香師(パフューマー)として培った豊富な経験から匂いについて洞察している。

 

本書は作者の個人的な―イタセクスアリス的とも言うべきもの―「忘れられないにおい」に始まり、媚薬、フェロモン、ブルセラ、下着フェチ、ラバーフェチから川端康成の『眠れる美女』までを俎上(そじょう)にのせ、「においとエロス」の解釈を試みる。

 

作者に倣(なら)って、ぼくがはじめて感じた匂いのエロティシズムというと、小学校の時、近所に夜のお仕事をしている美人姉妹がいた。髪はチャパツで肌の色がぬけるように白く、化粧もバッチリ、加納姉妹をスレンダーにしたようなイメージ。友だちの家へ遊びに行った帰りだろうか、出勤途中のお姉様たちと夕暮れ時に、坂道ですれ違った。甘く濃密な香りが鼻腔をくすぐっり、振り返ると長い2つの影が延びていた。そんなシーンを思い出す。

 

「私は、近代社会の中ではにおいそのものが抑圧されてきたと考えている。香水や花の香りがもてはやされることはあっても-一部略-『芳香』以外のあらゆるにおいを『悪臭』と一括して排除することで、思考の対象から外してきた」。作者はフロイトの説を挙げ、さらにこう述べる。「人間が文明化するためには、性的なにおいを無視し、鈍感になり、さらにそうしたにおいに嫌悪感を抱かなければならなかったのである」

 

においに鈍感になることで、発情期と非発情期の境をなくし、人間は「性=生殖行動」という大原則を破壊してしまい、性が快楽のための道具にしてしまった。もっとも、渋沢龍彦ではないが、エロティシズムは寝室よりも書斎にあるべきものであり、だから脳で感じるものだと思うのだが。

 

また、嗅ぐことの心身にもたらす効用をもっと重んじるべきではないか。視聴覚ばかりがピックアップされているが、嗅覚も重要であると述べている。

 

ワキガは今こそ恥ずかしいものとして特に若い女性から目の敵にされているが、かつては男性を魅了する性的な武器であったという。しかも「腋の下の汗成分はムスク様の香気を放つ」と言うではないか。このように、文系と理系を串刺しにして、知ることが、実に多い。

 

人間は自分自身のにおいを消すために、さまざまな防臭剤や消臭剤を使用する。そして、仕上げに、香水などで、においづけをする。考えてみれば、不思議だ。

 

「人間くさい」という言葉は、今、どうなのだろう。「男くさい」がまったくウケていないことは理解できるのだが。

 

ただ惜しむらくは、その豊富な知識ゆえに章立てが、ややバランスに欠け、内容も煩雑というか分かりにくくなっている。せっかくのいい材料がうまく生かされていないような気がする。

 

あとさあ、「フェロモンとエロスをつなぐ匂い」を「エロモン」と命名しているけど、あんまりいいネーミングじゃないよね。歌舞伎町あたりの風俗店の名前みたいだし。「エロモン仮説」もぼくには、ピンとこなかった。
 


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ジャケ買いならぬ装幀買いをしたこと、あるよね

 

 

『装幀百花  -菊地信義のデザイン-』菊地信義作 水戸部功編を読む。


『装幀=菊地信義の本: 1988~1996』菊地信義著のレビューを書いたが、続篇的本が、これ。

 

菊地といえば、講談社文芸文庫の装幀が代表作品。アシスタントをしていた水戸部功が「121点を精選」そして詳細な年譜解説付き。見るだけでも楽しい。

 

ただ羅列するのではなく「デザインを「斜体」「変形」「図像」「字体」「構成」」と
分類、そこに彼の狙いを紹介している。含蓄のある発言。こんな感じ。

 

「私がここで提示したのは、余白というひとつのカタチです。書名と著者名だけを機能として入れ、そこにあふれ生まれる余白、不安定な余白がどういうふうに読者の目を誘い込むか」


「作家の手から放たれてしまったテキストというのは、死んでいるのかもしれませんね。それを編集者が一つの形にし、また、装幀家がそれに装いを与えて一つのもの、つまり墓石みたいなものを作りあげるわけです」

 

ジャケ買いならぬ装幀買い。

 

あくまでも基本がタイポグラフィ、文字。作品の持つ魅力や世界観をどうデザインするか。改めて名人芸に魅せられた。

 

菊地が純文学、和物がメインならば、水戸部はSFなど洋物がメイン。たとえば国書刊行会から発刊されている『スタニスワフ・レム・コレクション』。


久しぶりにトレスコープ、トレスコという文字を目にした。

 

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罪のない人々が、あたかも『とるに足りない細部』のように殺されていく

 

 


『とるに足りない細部』 アダニーヤ・シブリー著 山本薫訳を読む。

 

一部は、1949年「ナクバ(大災厄)渦中のパレスチナ」。前年の1948年にイスラエルが建国された。駐屯していたイスラエル軍がパトロール中、何ものかを発見、攻撃する。
射殺されたラクダにまじってベドウィンの少女がいた。部隊は彼女を連行する。隊長は砂漠に生息している毒蜘蛛にやられながらも、近い将来、この土地をイスラエルの町に変えるという使命感にとらわれている。彼女の扱いを考える。泣きわめいてる少女の汚れた体を強制的に洗う。


彼女の裸を目の当たりにした兵士たち。強い欲情にかられる。その晩、部隊では宴会が催される。ワインで酔った隊長は獣と化し、少女をレイプする。それから部下に。そして撃たれ、砂漠に掘られた穴に埋められる。箝口令が敷かれる。

 

二部は、1974年、イスラエルの統治下にあるガザ地区。そこで働く女性が新聞記事でこのレイプ殺人事件を知る。イスラエル軍が過激派を抹殺するための銃撃や破壊は日常的な光景となっていた。彼女は記者に会って事件に関する情報をたずねる。友人から通行証を借り、男性友人名義で借りたクルマで現場を訪れる。なぜ危険を犯してまでそんなことを。検問所を通りたびに冷や汗をかく。


新しいイスラエルの入植地の地図と古い地図を見比べながら、なんとか現地に辿り着く。記者から聞いたイスラエル国防軍歴史博物館へ。そこの管理人は、井戸に捨てられたペドウィンの少女の遺体を見た記憶があると。宿泊先へ行く途中で70代と思われる老婆を乗せる。少女が生きていればそのくらいの年齢になっているはず。翌朝、博物館付近を調べていると、いつの間にか軍の施設内へ侵入していた。銃が向けられる。彼女はガムを噛んで気分を落ち着かせようとポケットに手を入れる。その瞬間。

 

一部は隊長の視線で描かれている。通常ならば、少女視線だと思うのだが。二部はインテリ女性の視線から。まるでノンフィクションのような乾いた文体。彼女たちに名前がないのは、女性をシンボリック化したいからなのか。違うな。本来この地で生きている人間をメタファー化したいからなのだろうか。


ラストには驚かされた。暴力で塗り替えられる地図と歴史。戦争は言うなれば国が国をレイプするようなものだろう。罪のない人々が、あたかも『とるに足りない細部』のように殺されていく。

 

パレスチナの戦禍は今日も続いている。続いているどころか、悪化する一方だ。


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