昨日は知り合いの大学の先生が裏方をしている
黒テントの芝居『ど』を見に神楽坂まで行ってきた。
有楽町線の神楽坂方面出口から坂をだらだらと上る。

テントじゃなくてホールIWATOは、150人程度で満杯なので、
どっから座って見てもステージが近い。
黒テントは、大昔に斉藤晴彦の金芝河の一人芝居を見て以来。

60年安保時のプロレタリアアート吃音男三人組の悲哀、差別を歌あり、楽器演奏あり、
笑いありのサヨクエンタテイメントでなかなか楽しめた。

原作をエンタテイメントにしなかったら2時間近くは到底見ていられない。
とはいえ、いまの若者と違って重たく真摯な当時の若者のセリフは、
難解で、狭いステージが一瞬60年安保の人民の熱気に包まれた気がした。

入場時に歌集のコピーが配られ、何するのだろうと思ったら、
ホール全体が歌声喫茶になり、みんなで2曲歌った。

岸内閣が新安保条約を強行採決、締結後に総辞職した時代。
革命前夜のような雰囲気に酔いしれた時代。

でも、それは横浜ラーメン博物館に入って
昭和30年代の町に入り込んだ錯覚のようなもの。追体験、バーチャルってヤツかも。

さすがにぼくとて原体験はしていない。

1960年代のプロレタリアアートの疎外や差別って、
でも、2000年代のプレカリアートの悲哀に通じるところはある。
なら修正サヨクってのが台頭する芽はあるのだろうか。
サヨクが嫌いなら、別なネーミングで。

ぼくの好きな中野重治の「雨の降る品川駅」にメロディーをつけて
役者たちが歌うエンディング。
中野の詩がしみるのは、なぜ。妙にいまの気分にフィットするのは、なぜ。


雨の降る品川駅
中野重治

辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李よ さようなら
も一人の李よ さようなら
君らは君らの父母〔ちちはは〕の国にかえる

君らの国の川はさむい冬に凍〔こお〕る
君らの叛逆〔はんぎゃく〕する心はわかれの一瞬〔いっしゅん〕に凍る

海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩〔はと〕は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳〔ひとみ〕はとがる
雨は敷石〔しきいし〕にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬〔ほほ〕にきえる

君らのくろい影〔かげ〕は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊〔ほろう〕の闇〔やみ〕にひるがえる

シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ

君らは出発する
君らは去る

さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら  女の李

行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰〔せ〕かれていた水をしてほとばらしめよ
日本プロレタリアートのうしろ盾〔だて〕まえ盾
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで

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