『自己表出史「早川義夫」編』監督 原 将孝(将人)を見る。
女の情念を歌う人なんていうと、中島みゆきあたりがすぐ頭に浮かぶが、男の情念というと、誰なんだろ。最近じゃ『東京』を歌っている桑田佳祐あたりだろうか。おっと、早川義夫がいた。切々と歌う『サルヴィアの花』は、昔聞いた「もとまろ」のそれとはまるで別な曲だった。
早川義夫は、日本のロックの黎明期にジャックスを率いて、その後、ソロシンガー、本屋の店主となり、再びソロシンガーに復活。残念ながら、ジャックスは追体験で知った。再デビュー後、桑田が早川に楽曲を提供したのものがあったはず。
このドキュメンタリーは、ジャックス解散直後の1969年に撮られたものだ。監督は若かりし原将人。
夏の日。高校の屋上で、男子高校生と女子高校生がセックスしている。白いブラウスをまさぐる白いシャツの男の子。そのシーンを偶然目撃する二人の女子高校生。見て見ぬふりをしている。そこに流れるのが、オーネット・コールマンの『ロンリーウーマン』。
一転して、突如、カメラは1969年のリアルタイムの東京を映し出す。学生運動とジャズがピークだった頃か。当時の映像に早川の音楽がかぶさる。ビデオクリップ―ビデオではなく16mmフィルムだが―といえばそうなのだが、ドキュメンタリーなので映像がメインで歌がB.G.M.に聞こえる。
椅子や机でロックアウトされた都立高校、そこでアジる高校生。時計や時刻の掲示板が投石予防のためだろうか、紙とテープでグルグル巻きにされている新宿駅構内、煙幕でもたかれたように、ぼんやりとくすんでいる新宿の街。東口駅前が遥か遠い昔の景色のように見える。「ように」じゃなくてもう遠い昔か。
早川の歌は、ロックなのか、フォークなのか。答は、歌だ。それ以上でもそれ以下でもなくて。乏しい音楽知識からいわせてもらえば、トム・ウェイツやランディー・ニューマンあたりと似ていると思う。
「はっぴいえんど」の松本隆の作詞が、文学的センチメンタリズムに由縁しているのに対し、彼は自分という井戸を深く掘り、そこから湧き上がるものを言葉なりメロディーにしているのではないだろうか。だから、渇水期には涸れることだってある。
監督自身によるぞんざいなインタビューの仕方が臨場感にあふれている。たとえば演歌が好きでジャズも好きな若者についてどう思うかと尋ねると、早川はそんな酢豆腐ぶりをめちゃくちゃにけなす。徹底的にこき下ろす。たぶん、このあたりのスタンスは、終生変わらないものなのだろう。
ぼくは彼の音楽と同じくらい彼の文章の方を最近は注目しているのだが、晶文社のWebで連載されていたエッセイ(『たましいの場所』として晶文社より刊行された)にも相変わらずのリアリストぶりが発揮されていた。母親の遺産相続で近親者で骨肉の争いをした話、新婚当時は1日6回セックスをした話、それから川崎(たぶん、ソープランドか)に熱心に通ったこともあったが、最近では精力が減退したという話、結婚した娘の話など、私小説的身辺雑記なのだが、魅入られてしまった。
わずか30分余りの映像なのだが、束の間タイムスリップしたような気分にさせる。今はチャパツ、ケータイの若者で賑わうスタジオアルタ前を、当然まだアルタなんてなく、何かに憤っている若者の集団の中に紛れ込んで、戸惑っている自分自身。
モノクロームの映像が、ささくれをひっかかれたようにかなり重たく心に残る。蛇足ながら、ベリーヤングエンケン(遠藤賢司)がチラッと映っていた。椎名林檎のカバーで『サルヴィアの花』を聞いてみたいものだ。残念ながらDVDや動画配信サービスにもないようだ。