「クン」づけで呼ばれたい女(ひと)

男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)


『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』塩野七生著を読む。

 

時々無性に女の人から「クン」づけで呼ばれたくなる。駆け出しの頃は、女性のグラフィックデザイナーやコピーライター、スタイリストから「クン」づけでいろんな雑用を言いつけられると、腹が立って、立って。なあんてことは、まったくなくて、犬のように、忠実に従っていた。それが、どうだ。学生時代の同級生の女の子(もう、子はつかないけどね)ぐらいか、呼んでくれるのは。

 

以前、風水のゲームソフトを企画したことがあった。プロデューサーとともに、風水師を訪ねた。新大久保のマンションにオフィスがあり、見るからに怪しげな風貌の風水師は、本格的な中国茶の入れ方でお茶を振る舞ってくれた。

 

試しに、会社が繁盛するにはどうすればいいのかということと、ぼくと同行したプロデューサー、二人の運勢を占ってもらった。生年月日と生まれた時刻を告げる。ややあって、風水師はぼくに向かって「あなたは、いままで女性に支えられてきた。これからも、そうなるだろう。だから、女性のブレーンを大事にしなさい」とか言われた。

 

その時は、さも、ありなん。と、思ったが、しばらくしてから待てよ。だって、この世の半分は、女性だろ。やられた!ま、占いなんて、そんなもんだけど。結局、風水のゲームソフト企画は、水子となって流れてしまい、会社も繁盛することなく潰れてしまったのだが。

 

話を戻して。「クン」づけで呼ばれたい女(ひと)の一人が、作者だ。作者のライフワークであるイタリア歴史物は、老後の楽しみにとっておいて、割とよく読み返す本を紹介することにしよう。

 

本書は、資生堂のPR誌「花椿」に連載されていたものだから、ファッションに関するテーマが多いけど、中身は、決して軽くない。日本の男に対して実に、辛口、辛辣、でも、「おっしゃる通り」。


記憶に留めているところでは、「男女不平等のすすめ」「日本のインテリ男はセクシーではない」「アラン・ドロンを引き合いにして食べ方に氏・育ちが表われる」「男は女から別れを宣告された時は泣いても良い」「日本の男はグリーンが足りない(ドブネズミルックに対して)」「男が上手に年をとるために」。

 

ビシッと剛腕から繰り出される数々の箴言は、SMクラブの女王様のムチのように、完膚なきまでに、男心の末端にまで染み入る。


まあ、イタリア在住なので、「イタリアでは」という「イタリア出羽の守」のきらいがなくもないが。

 

ちなみに、ぼくも、彼女から別れを告げられた時、臆面もなく泣きました、彼女の部屋で。で、さもしい根性の持ち主なもんで、後日、置いといたLPレコードを引き取りに行く時、真新しいパンツで行った。何も無いどころか、彼女の目から、とっとと帰れビームをイヤというほど浴びて、とぼとぼ、青梅街道を新宿方面に歩いて帰った。

 

男だって生まれながらにして男じゃない、男になるんだって、今は。と、こんなこと言ったら、ボーヴォワール女史はどんな顔をするだろうか。

 

フツウの男で何が悪いという一種の開き直りもあるけどね。
 


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