赦せるもの、赦せないもの

金輪際 (文春文庫)

『金輪際』車谷長吉著を読む。


滅び行く私小説の継承者と目された直木賞作家の短編集。全7篇のテーマは、「ルサンチマン」(私怨)である。

 

本作の最初の作品「静かな家」を読んで、そのうまさに恐れ入り、こりゃ一気に読むのは勿体ないと思った。なかなか手に入らないシングルモルトウイスキーや隠れた地酒を運良く入手できた時のように。

 

主人公や舞台となる場所の設定は異なっているが、主人公は作者のほぼ分身と考えていいだろう。幼少時代に出会った嫉妬や羨望を覚えさせた同級生、それとは裏腹に蔑(さげす)み、哀れみの対象となっていた同級生。大学入学後、上京して知った山手のハイソな匂い、彼らの階級とのギャップ。高校時代の文通相手との淡い恋や行きつけの酒場の女との情交など、彼が邂逅した女性たち。よくできたRPG(ロールプレイングゲーム)のように、一筋縄ではいかない話の展開。

 

作品を読む毎に、忘れていた子供の頃や学生時代、社会人になりたての頃のシーンを脳裏に投影させてくれる。特に酒場のシーン。僕は、作者よりちょうど十歳年下なのだが、新宿二丁目にあった広告制作会社に拾われた頃、先輩や上司に連れて行かれた店は、確かにこうだった。どこか影のある女性や、小劇団の女優の卵などがバーカウンターの中にいて、常連客と小難しい話をしていた。8トラックかカセットタイプのカラオケが出回り始めた頃だったろうか。

 

時が過ぎ去れば、すべて甘美なノスタルジーに思える。そうだろうかと、作者は、凡庸な感傷の薄皮を一枚ずつ削(そ)いでゆく。そのオールド・ファッションなスタイルには、日本のモノクロームの名画のような香りがある。文章の一字一句をとことん味わいたい一作。長く寒い夜に、ちびちび読んでもらいたい。

 

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