アメリカ・イリノイ州で暮らす作者がこれまで住んできた、訪ねたことのある土地での
人たちについて書いたエッセイ集。ともかく作者の耳の良さ、目の良さには驚く。
どうすれば、このように他人の懐にすんなりと入れるのだろう。
たとえば、近くのドーナッツショップ。そこは、リタイヤしたお爺さんたちのたまり場。コーヒーとドーナッツで日長一日、おしゃべりをしている。面識はないが、その会話の面白さを聞き漏らすまいと。名前は知らないからかぶっている野球帽で区別する。
セントルイス・カーディナルスの帽子、シカゴ・カブスの帽子。これがバツグンに面白い。アメリカのユーモア作家のよくできた短篇の味わい。
術後体力増強のため地元のYMCAの会員になって水泳教室に通う話。ひと泳ぎした後、ジャグジーで繰り広げられる高齢女性の会話。話題は自分の病気や葬式などがメイン。
ぼくも病院の待合室でおしゃべりが止まらない彼女たちの話が大声なので否応なしにも耳に入ってしまうことがある。いわゆるあるある話に、くすっとしてしまった。
と、書いたけど、このままでは誤解されるな。深刻な重たいテーマだってある。
住まいを失った女性のための緊急シェルターの夜間受付をした話、無償で。シェルター、避難所なのでむやみやたらに来訪者を入れることはできない。入所者の数だけ真実がある。居場所がある幸せ、ありがたみ。「ミミズをかたどった飴」が出て来る。これは、たぶん、グミのことだろう。
「ベルリン高等学問研究所」に招かれベルリンで1年間暮らした話。そこには、ベルリンの壁崩壊前に作家・長谷川四郎が訪ねたそうだ。ナチスドイツ時代や東ドイツ時代の面影を残したもの見ては、当時を追体験する。同じ頃滞在していたヴァルガス・リョサ本人を意外なところで目撃する。見事なオチ。
喰う寝る処に住む処。市井の視点から書かれた文章を愉快に読んでは、そこに忍ばせてある作者の意見に深く賛同するばかり。