硫黄島。「東京から1200キロ以上も太平洋を隔てている」島。「3000メートル級というジャンボ機が発着可能な滑走路が2本ある」基地の島。「太平洋戦争末期、二万人の日本軍が玉砕し、米軍も七千人が死に、二万二千人が負傷」した激戦の島。
フリーライターの主人公は、厚生省主催の「慰霊巡拝」の取材目的で新聞社の女性記者と島を訪ねる。そのきっかけは、元硫黄島の住人とひょんなことから知り合ったからだ。主人公は、妻と別居中。購入したマンションも売りに出している。
硫黄島は、「住民票の上では、住民は存在せず、いるのは自衛隊と米軍関係者だけの島」であり、「戦前の島民たちは、島に戻ることを現在でも、許されていない」。彼は、戦争の爪痕を発見しては、風化しかかっている戦争を追体験する。
硫黄島は、縄文文化よりも南方文化、島尾敏雄が命名したところの「ヤポネシア」文化圏に属しているなど、古代、戦前、戦時下と時系列をうまく構成しながら、読み手を魅了する。
自分の居場所を失った主人公と硫黄島をオーバーラップさせてしまうのは、自然な感情ではないだろうか。またタイトルの『硫黄島』に『IWOJOIMA』と米軍の表記をしているのも、戦後の日本の体制を意味していると述べたら、穿(うが)ちすぎだろうか。
作者がノンフィクションではなく、あえて小説に仕立てあげたのは、小説にしなければならない強い必然性があったからだ。
ほろ苦い小説を読みたい人に、ぜひ。