ゆめのような うつつのような まぼろしのような

 

 

『アーモンドの木』ウォルター・デ・ラ・メア著 和爾桃子訳を読む。

 

子どもが主人公。一見メルヘンチックでありながら、
時には悲惨、時には幻想的、時にはゴーストチック。
じゃあ怪談話といえるのかというと、そのあたりは微妙。
「訳者あとがき」によると、「朦朧(もうろう)法と呼ばれる文体」だそうだ。
日常と非日常の際(きわ)をあえてぼやかせる。
確かに何かいるのにあえてその正体を明かさない。
五里霧中を読み進むとバリ夢中になるって感じ。
エドワード・ゴーリーが挿絵を描くくらいだものね。
数篇の紹介をば。

 

『アーモンドの木』
「伯爵」というあだ名・ニコラスの子どもの頃の思い出話。ヒースの原野にたたずむお屋敷暮しの彼。父親は不在がちだった。それは愛人・ジェーン宅に入り浸っていたから。彼は父親に愛人を紹介される。それを知って怒り心頭の母親。母親は彼を通して夫に復讐しようとする。聖バレンタインデー、両親の諍いを目撃する。雪の降る中、出て行った父親。


『ミス・デュヴィーン』
たぶん心を病んでいるお隣さんのミス・デュヴィーンと少年アーサーは知り合いになる。彼女は聞きもしないのに恋話など自らの過去を一方的に話す。それは現実なのか妄想なのかわからない。次第に会うのが煩わしくなったアーサー。会うことを避けていたら、病が悪化したのか彼女が亡くなったことを知る。内心、ほっとする。

 

シートンの伯母さん』
再読。シートンは同級生で学校で浮いた存在。彼は伯母さんからいつも高額なお小遣いをもらっていた。ウィザーズは彼に誘われ、伯母さんに会いに行く。ご馳走を振る舞われながら、シートンへの不満を聞かされる。
伯母さんは亡くなった父親に代わって財産の管理をしていた。それを知っているシートンは伯母さんを毛嫌いしていた。伯母は見えないものが見えるという。屋敷には「やつら」が、ごまんといるとシートン。そして彼は中退してしまう。
連絡があって久しぶりに再会した二人。シートンと老いた伯母の心の溝はいっそう深くなっていた。結婚直前にシートンは謎の死を遂げる。

 

『クルー』
クルー駅に降りた「わたし」は、けったいないでたちの男から声をかけられる。ブレイクと名乗った彼は以前牧師館で下働きをしていた。そこの庭師が余りにもひどい所業で彼は口下手な若者経由で牧師にそのことを告げさせる。首になった庭師は、納屋で首を吊ってしまう。それから異変が起きる。
ブレイクたちが見たものは。岡本綺堂が生きていたらこの作品を翻案して『半七捕物帳』の一篇にしたかもしれない。おっと、余談。

 

『ルーシー』
石屋敷と呼ばれる豪邸に未婚の三姉妹がいた。祖父が一代で築いた富も後を継いだ彼女たちの父親の代でしぼみ出し、彼女たちがいざ相続したら、資産はわずか。商売の才覚などはお嬢様たちには到底望めず、彼女たちの加齢とともに屋敷も庭も荒廃していく。ルーシーとは、三女・ジーン・エルスペスの想像上の友だち。『アンネの日記』に
出て来る心の友・キティ―のような存在。女中や執事を首にして自分たちで不慣れな家事をするが。廃屋同然の石屋敷。すっかり老いた三女が庭の池を覗くと、水面に映っているのは。

 

人気blogランキング