フェミニズム虎の巻

 

 

フェミニズムってなんですか?』清水晶子著を読む。

 

文字通りフェミニズムについて広く、深く、簡潔にまとめた本。最初に読むのはもちろん、なんか難解なフェミニズム本を読んで頭が混乱したとき、思考の整理にも役立つ。

そうか!と思ったところを適宜引用。

フェミニズムは本来「女性は結婚して子どもを持つのが当たり前でしょ」というようなマジョリティの考え方に異を唱えたところから出発したはずなのに、マジョリティに近い立場にいる人ほど、自分の経験をどの女性にもあてはまると経験と思い込んでしまうワナにはまりがちです」


「「同じ女性同士だからわかりあえるはず」ではなく、「私とあなたは同じ女性であってもちがうし、あなたの経験を私はよくわからない」ということを確認しあって、そのちがいの背景にある差別や抑圧の構造への理解を深めていくことが大切なのです」

 

同性でもちがう。ちがいを認め合う。

 

医療従事者や介護関連従事者はなぜ「報酬や待遇」が低いのか。特に、ヘルパーや保育士など後者のほうだと思うが、この一文で腑に落ちた。

 

「その理由の一つに、育児や介護、さらに食事を用意したり家を整えたりという日常の家事などのケア労働全般を、女性が担わされてきたことがあります」

 

これらの「家庭内での無償労働=ケア」という観点から「ケア労働の価値」が「正当に評価されない」と。

 

「しばしば女性に適しているとみなされた介護や保育、看護などのケア労働は、無償労働の延長線上のように扱われ、低賃金に抑えられてきました。これは実際に女性の経済的自立の芽を奪うと同時に、女性とはそもそも男性に「支えられ」「保護され」なくてはならない存在、「自立」できない存在である、という偏見を強め、女性たちを家庭内の無償労働にさらに強固に繋ぎ止める役割をはたしました」


「自立した女」って叫ばれてから久しい。いつものダジャレで恐縮だが、「パート106万円の壁」は乗り越え、扶養は不要ってことにしないと。


「血縁をベースとした親族関係の基本ユニットとしての「家族」制度」の疲弊もしくは終焉。上野千鶴子は「ネット縁」をあげていたが。

 

「(女性にとっての)「依存」か「自立」かという二者択一が、それ自体、偽の選択であることも、私たちは常に思い出しておく必要があります」


とかくお上や男性は、そういう踏み絵を女性に踏ませてきた。踏まなくていい。あるいは、破壊してもいいだろうと。

 

「「自立」の要請を、どうやって自己責任論に回収させておかないでおくか。「自立」しなくても一人の人間としての権利と尊厳をもって生きていける社会をどう作るのか」

 

自助でもなく公助でもなく、共助。換言すれば、セーフティネットだと思うのだが、これまでの地域ではなく、「ネット縁」のような新しいスタイルで。

 

フェミニズムは「自立」の先に向けて、あるいは「自立」の再構築に向けて、考えていかなくてはならないのです」

 

ヴァージニア・ウルフあたりを再読してみよう。「フェミニズム」、「ケア」、「(女性の)自立」などで新たな気づきがあるかもしれない。

 

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