リメンバー 民俗学者・柳田国男

 

 

『山の精神史 柳田国男の発生』赤坂憲雄著を読む。    

 

作者は、遠野(岩手県)、椎葉(宮崎県)、柳田の生地である述川(兵庫県)、津軽青森県)と柳田国男ゆかりの地を訪ねる。ロードムーヴィーならぬロードフィールドマーケティングである。


本書では、日本の民俗学の草分け、柳田国男の再評価を試みている。なぜ柳田は農政学者、農政官僚というエリートから野に下ったのか。なぜ彼は山人そして山人対常民という図式に拘泥したのか。

 

「柳田にとって山人は先住異族の末えいとして今日なお稀れにではあれ生息する、まぎれもない人間であった」と作者は記述している。それに対して、南方熊楠は「(山人は)猿と人類の中間のような“ 原始人”と規定される。―略―しかも、南方は山人の実存性に関して遠い過去についてはいざ知らず、現在はけっして存在しないと“ 今日の山男”を重ねて否定している」


秀才柳田対天才南方。民俗学という同じ土壌でありながら、対極的なベクトルの二人は、この山人論争で関係は絶縁状態となる。

 

作者が遠野を歩いて『遠野物語』へのリアリティを強く感じ得たのは、当然至極のことである。ぼくも、半日余りの短い旅ではあったが、かの地を訪ねたことがある。遠野は盆地なので、夏の日中はとても暑い。駅前から観光バスに揺られて、常堅寺、五百羅漢などを案内された。運転手兼ガイドの人から、カッパは、飢饉で餓死した幼児が川に流されたという説を聞いた直後に、カッパ淵の清澄な流れを目にした時は、妙に背筋がゾクゾクした。民話センターのような所では、語り部の老婆から、『遠野物語』の一説を聞くことができた。

 

柳田が編集した『遠野物語』は、文学の領域に限ってみても、童話、伝奇小説、ホラー、SFなどの源流ともなるグレートマザー的存在ではないだろうか。ホコリをはらって、再読してみることにしよう。


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