身体は宇宙を内蔵する

 

 

『五界彷徨 夢のもつれ・2』鷲田清一著を読む。

 

「そうすると、皮膚だけがぼくらの存在の表面なのではない。さらには内臓の表面、衣服のテクスチュアだけでなく、ぼくの身体に埋め込まれた人工臓器の表面とぼくが操作するCGの表面も、ぼくが生活する室内の壁のテクスチュアも、ぼくが彷徨う街の路面も、いやぼくの意識にまといつくあのひとの心像(原文まま)も、見える物たちのあいだを透過し浮遊する身体だということになる。」(「見えないものの分泌」より)

 

 

優れた文章というのは、ふだん意識の奥底に沈んでいることを浮上させるチカラがある。あるいは、滞っていたり、停止していた思索を推し進める作用がある。


本作は、コム・デ・ギャルソンやワイズを着た哲学者の五感が触手を伸ばしたモード、パフォーマンス、アート、ミュージックなどについて書き記したエセー集である。

 

たとえば菊池信義の装丁を「白いエロティシズム」と名づけるあたりは、言い得て妙である。確かに彼の手がける装丁は、そのコンテンツ(作品)を象徴的にとらえたマチエール(カバーの紙質や風合いなど)やタイポグラフィーに対するこだわりには、一種のフェティシズムを感じる。

 

また、「ウィリアム・モリス展」で植物をモティーフにしたモリスの室内装飾を目にして作者は「『子どもが母親の衣服の裾にしがみついたときに顔をうずめていたその古い衣服の襞のうちで見いだすもの』それをこそ思想は含んでいなければならない」というベンヤミンの一文を思い出す。インテリアは胎内回帰、自然回帰への一表出なのだろうか。

 

全篇、クールで明晰さを存分に感じさせるのに、なぜかロックを述べる時は、かなり熱くなっている。アンプラグド・ミュージック、エリック・クラプトンジェフ・ベックキース・リチャーズ…。まあ、団塊の世代の由々しき特徴かも。

 

興味のあるテーマだけを飛ばし読みしても良いだろう。きっと何がしかの発見があるはず。


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