血と汗と涙(ブラッド・スウェット&ティアーズ)

 

 

 

昨日、4回目の新型コロナワクチン接種をする。
今回がいちばんだるいかも。で、昔書いたレビューから。


『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』ジェームズ・C・コリンズ ジェリー・I・ポラス 著 山岡洋一訳を読む。


「真に卓越した企業と、それ以外の企業との違いはどこにあるのか」-その命題に基づき、膨大な調査及び分析から生まれた結果は。「データはあくまでデータである」と作者は断っているが、しかし、ビジョナリーカンパニー(先見的企業)にならしめたと世間一般に思われている伝説や神話の真贋をデータで事細かに立証し、そこから普遍的な法則を導き出すプロセスは、きわめて面白い試みである。

 

まず、有名なところから。「ひとりのカリスマ的指導者は『時を告げる』」。しかし、「ひとりの指導者の時代をはるかに超えて」「繁栄し続ける会社を築くのは『時計をつくることである』」。ビジョナリーカンパニーの創業者たちは、いずれも「ビジョナリーカンパニーになる組織を築くことに力を注ぐ」。それが、『時計をつくること』なのだ。

 

次が、「OR」ではなく「AND」でいく。すなわち、「AかBかのどちらかを選ぶのではなく、AとBの両方を手に入れる方法を見つけ出す」。たとえば、「高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追求する」。それを実現しているのが、ビジョナリーカンパニーなのである。

 

創業まもなく、利益ではなく、いまでいうところのミッション、しかもハードルの高い「基本理念」をつくり、将来の海外進出を見込んで外国人でも発音しやすい社名に変更したSONY。日本の企業では唯一SONYをあげている。

 

ビジョナリーカンパニーが最初からうまくいったわけではなく、むしろ、失敗してつまづいている企業の方が多いのは興味深い。

 

カリスマ性の高い人物は、ビジョナリーカンパニーには不要であると述べられているが、当然、優れた経営者は必要であると。ダーウィンにならえば、獲得形質は遺伝しないということ。脈々と企業体、人材に受け継がれたナレッジが、まさにその企業のDNAであるわけだ。

 

ホンダがいっとき、クルマのキャッチフレーズに「HONDA DNA」を使っていたが、そういうこと。あ、これ、いいかも。企業名の後に「DNA」をつけてみて、しっくりきたらビジョナリーカンパニーかもしれない。

 

経営陣が生え抜きであること。確かに、これも、いえてる。飛び級ではないが、よく何人飛びで無名の役員が代表取締役になったなどと一時期話題になったが、それだけ有望な人材がいるということだ。

 

カリスマは代替はきかないが、組織は代替がきく。でなければ、会社なんて意味がない。時代の趨勢でその会社の業態や扱い品目が変わるかもしれないが、創業当時のミッションは、不動のものとして社員一人ひとりの意識に染みついている。

 

誰とはいわないが、助っ人で社長を招聘して、意識改革などと称して荒療治をする。大抵はリストラとかなんだけど。いっときは効果があるかもしれないが、往々にして長続きはしない。

 

最後に、ビジョナリーカンパニーの「経営手法などは、決して新しくはないことが明らかになった」。人間力。BLOOD,SWEAT&TEARSなんだ、やっぱり。

 

余談になるが、本書によると、IBMは、1925年に現在の社名である「インターナショナル・ビジネス・マシンズ」に変更、1930年には計算機の大手企業になったという。何ともコンピュータ時代を予見した業態をあらわすのに、ふさわしいよい社名をつけたものではないだろうか。


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