静かな夜に、突然、物音がすると、よく「あ、死んだおじいちゃんが会いに来た」などと冗談を飛ばす時があると思う。
熊本市内に火の玉を見たという情報が何件も入る。そして、ピンポーンとチャイムの音がして、ドアを開けたら、そこに亡くなっていた身内、しかも心の底から会いたいと願っていた人が立っていた。
本作は、この「甦(よみがえ)り」というテーマを見事な作品に仕上げた。「甦(よみがえ)り」は、黄泉(よみ)の国から返ってくるので、黄泉がえりが転じて甦りとなったそうだ。
テーマ自体は、陳腐と言えば陳腐である。国内外の同じジャンルの作品や映画にゴロゴロしているし。中原中也の詩の一節に倣(なら)えば、「出てくるわ、出てくるわ」黄泉がえりが。
夫、兄、先代社長など次々と、亡くなった年齢で現われる。市役所に黄泉がえり届けが殺到したり、新聞広告では黄泉がえり広告―死亡広告のまるで逆―の掲載を検討したり。
黄泉がえりがうまくいかないと、畸形になったりと。微に入り、細に入り、エピソードが積み重ねられていく。
黄泉がえりは、なぜか熊本界隈にしか起きないのだが、ページが進むうちに、その謎は次第に解き明かされていく。そして彼らは、一斉に…。夭折した天才女性シンガーソングライターの儚い恋が、とても切なく色を添える。
無理な話なのに、展開に、無理がない。ゾンビや起き上がりなどあの手合いのおどろおどろしさは、まったくと言っていいくらい無縁だ。何かあたたかいものが残る、
極上のファンタジーである。決して書評で「傑作」という言葉は断じて使いたくないのだが、本作には、使ってしまおうかと考えてしまった。