都合の良い、危険な物差し

 

 

 

『人間の測りまちがい 差別の科学史 』(上)(下)スティーヴン・J.グールド著 鈴木 善次訳 森脇 靖子訳を読む。

 

タイトルは「人間の測りまちがい」であるが、あえて測りまちがえた、ぶっちゃけ、白人(もしくは男性)優位主義を立証するためのデータ捏造、改竄、ウソっぱちのオルタネイティブサイエンスヒストリーである。

 

まったく根拠のないいわれなき差別、非科学的な差別が、いまだにまかり通っていることに対して、作者は、危機感や憤りを覚えつつ、これでもか、これでもかと反証している。


「頭蓋骨のコレクションと、それを用いて人種のランクづけをした」サミュエル・ジョージ・モートン。結果はいわずもがなである。

 

「犯罪者は我々の中の進化的な先祖返りである。先祖の過去を秘めた胚珠は我々の遺伝質の中に眠っている。不幸な人にその過去が再び生きかえってくる。これらの人々は正常なサルや未開人がするのと同じような行動を生得的に行なう」

これは19世紀のロンブローゾの理論。いまなら、とんでも理論と、その非を指摘できるが。

 

IQ(知能指数)テストの「基準を確立した」ビネー。彼は、「学校での劣った成績の原因が何であれ、自分の作った尺度の意図は、レッテルを貼るためではなく、手を差しのべ、改善するために特定することである」と確信していたが、彼の意に反して、アメリカでは、「学習に特別問題のある子どもたちを査定する道具としてのみIQテストが利用」されてしまった。その普及に貢献したのが、「ニュージャージーにある精神薄弱の少年少女のためのヴィネランド訓練学校の精力的かつ改革的な指導者だった」H.H.ゴダードである。

 

ゴダードは、知能障害をピネー尺度(IQ)により分類、線引きを企てた。その目論見は、「精神薄弱の原因を一つの遺伝子にあると認めていたので、-一部略-魯鈍に子どもを作らせないことと、外国人の魯鈍を締め出すこと」、そして魯鈍の移民と生殖を禁止することにあった。さらにビネー尺度はルイス・M・ターマンが改良を加え、全米規模の国民知能テストへと至る。

 

特に、このIQに関する一連の史実が、考えさせられた。そういえば、類似品で偏差値なんていうのもあったな。

 

「知能とは内在的で変化しない知的価値であり、それによって直線的な物差しの上に全ての人々をランクづけできる一つの数値として有意に抽出できるのだという主張」。

その物差しこそが、フランシス・ゴルトンによって考えられた忌まわしき優生学などの根っこになっているのではないだろうか。

 

謝辞でいきなり「利己的な遺伝子などあろうはずはない」と、作者は論敵リチャード・ドーキンスにパンチをお見舞いしているのは、ファンサービスといったとこだろう。

 

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