失われし時間を求めて

 

 

『葦と百合』奥泉光著を読む。

 

カルトを扱った先駆け的作品として高橋和巳の『邪宗門』がある。これは、戦時中に国家から壊滅的な弾圧を受けた大本教団を下敷きにしたものだ。その徹底的な破壊のさまをかつて雑誌『GS たのしい知識』に掲載された写真で見たことがあるが、そちらのほうが、小説よりも、インパクトが強かった。

 

高橋は、おそらく信仰心と倫理観の対峙や葛藤など個人の内奥する問題よりも、国家組織や社会システムの方に力点を置いていたが、やっぱり個人の心の問題だろ。と、その時は思った。ま、『邪宗門』はポリフォニックな全体小説を意識して書かれたそうだから、そうなんだけどね、何か違和感を感じてしまった。

 

時代が違うんだよ、貧乏や病気が入信のモティベーションにゃならんのさ。でも、デフレスパイラルが続くとわからんよね。是枝裕和の映画『ディスタンス』の紹介記事を読んで、ふと、そんなことが頭の中に浮んだからなのだが。

 

奥泉光は、日本の作家の中で最も存在が気になる1人だ。1作毎にスタイルを変え、現代文学の可能性に果敢に挑戦している。僕は最近の作品よりも、芥川賞を受賞した『石の来歴』や『ノヴァーリスの引用』など初期のものの方に強く惹かれる。で、マストアイテムとして、本作を推挙する。

 

世は世紀末のまっただ中。宗教だの、カルトだの、ヒーリングや自分探しなど精神的な空気が色濃くなっている。タイトルの「葦」とはカルト集団「葦の会」を意味する。主人公は、大学時代、会の指導的立場にあった友人の薦めで「葦の会」のコミューンに参加し、農作業で汗を流す。主人公の恋人もその会に次第に魅力を覚え、本格的に入信していく。

 

いつしか恋人は、主人公の友人と結ばれ、彼は会から乖離(かいり)していく。その後、お互いに音信不通となるが、友人から1枚のハガキをもらう。主人公は大学時代の恩師の別荘へ行く途中、ハガキに書かれてあった東北の山間部にある「葦の会」のコミューンを尋ねる。しかし、コミューンはなかった。鬱蒼(うっそう)としたブナの原生林、影のある登場人物、幻覚症状を催す茸、宿泊先の旧家にまつわる伝聞…。

 

螺旋階段を下りるような気分で謎に、はまっていく。やがて謎は一応、解明するのだが、結末でまた作者は、執拗なまでに謎を用意して、読者を混乱させる。きわめて重層的な構造、濃厚な筆致で、作者は、今の人々の宗教への在り方、もしくは精神的なものへの思いを表現している。

 

タイトルのもう一つの「百合」は、山に咲く可憐な花であり、恋人であり、エロスのメタファーでもある。彼には結婚を約束した恋人がいるが、いまだに別れたかつての恋人の存在を消去できずにいる。二度と来ない若かりし時代への甘美な思い出。いわゆる「純文学=難解」と決めつけるのではなく、優れた伝奇ミステリーあるいは恋愛小説として、ぜひ読んでいただきたい。

 

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