文科系遺伝学の必然性

 

 

 

『心はどのように遺伝するか 双生児が語る新しい遺伝観』安藤寿康著を読む。

 

「遺伝子は人間の姿やかたちのみならず、一人一人の心のあり方にまで影響を及ぼすのだろうか」。本書は、思わず、考え込んでしまうような命題を考察したものである。作者は、人間行動遺伝学の見地から認知能力とパーソナリティの発達に及ぼす遺伝と環境の影響に関して、双生児研究から追究している。

 

村上春樹の小説のような話なのだが、かつて、双生児の女の子と短い間だが、つきあっていた。彼女は一卵性双生児の姉の方だったと記憶している。ある夜、彼女の自宅に電話をした。てっきり、彼女だと思って話をはじめたら、妹だった。姉とそっくりな声だった。そんなことを思い出してしまった。

 

作者曰く、一卵性双生児とは遺伝的に全く同じであるということ。生まれてすぐに別々に遠く離れた地で一卵性双生児が何十年かぶりで再会したら、趣味、性格などに「驚くほどの相似性」があったという有名なエピソードが紹介されている。

 

ぼくたちは「遺伝」なんて言葉を耳にすると、どうも文学的な解釈をしがちで、すごく運命的なものを感じて、ともすると、一生そこから逃れられないなどと嘆く人も存外多いだろう。しかし、作者は従来の「貧しい遺伝決定観」に対して「多要因の全体的な力動という視点が欠落しているのだ」と批判している。

 

本書の冒頭で、「進化論」を唱えたチャールズ・ダーウィンと昨今またぞろ物議を醸している「優生学」の祖であるフランシス・ゴールトンが似すぎたいとこ同士として紹介している。ちなみに、優生学は、ナチスホロコーストの温床と目され、「悪魔」のレッテルを貼られた学問。しかし、遺伝を論ずるのには、避けて通れない問題である。

 

二人は、いとこであるのだから、容貌は似ているのは当然なのだが、進化に対する考え方まで似ていると。このエピソードのオチとしては、晩年の二人の写真が掲出されており、歳月を経たら、二人は異なる道を歩んだためか、その容貌はすっかり異なってしまった。

 

いわゆるゲノム学がこのまま発展したら、前述の優生学の再来を招くのではないかと危惧されている。そのために、作者は、遺伝学も理科系のみならず、文科系からのアプローチも必然であると述べている。

 

「いま必要なことは、ただ手をこまねいて悲観的な未来像を描くことではなく、新しいミケランジェロが自然に生まれ育つような新しい遺伝観に基づく豊かな社会を築くことである」と結んでいる。同感である。

 

大学の心理学のレポートというと、いまも『性格を決定するのは、遺伝か、環境か』などという十年一日的なものなのだろうか。

 

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