「全ての生物は、遺伝子を運ぶための生存機械だ」しかし…

 

 

利己的な遺伝子 40周年記念版』リチャード・ドーキンス著 日高敏隆〔ほか〕訳を読む。

 

この本を最初に読んだのは、今から四半世紀前ほどか。
ドーキンス教のにわか信者と化したぼくは、出ている著作を買ったり、借りたりして読んでいた。

 

著者の造語である「ミーム」は、斬新なコンセプトで賛否両論を巻き起こしたが、
またたく間に広がり、しまいには著者の意図とは違った使われ方をするようになってしまった気もする。で、久方ぶりに読んでみた。


改めてミームについて。「第11章 ミーム―新たな複製遺伝子」から引用。

「(ミームとは)自己複製子。文化伝達の単位、あるいは「模倣」の単位という概念を伝える名詞である」

ギリシャ語のmimeme(模倣する)とgene(遺伝子)を組み合わせた造語。

「旋律や観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壺の作りかた、あるいはアーチの製造法などはいずれもミームの例である」

 

「模倣」を置換するなら、文学、音楽、芸術などで感化、影響、感動を得る、共感するってことだろう。その提唱、提案したものが、多くの「模倣」もしくは賛同を得て、それらが集結して流行、トレンドになる。

 

「その考えが評価を得れば、脳から脳へと広がって自己複製すると言えるわけだ」

ニュートンの有名な言葉に「巨人の肩に乗る」がある。
古代からの試行錯誤によって蓄積された知によって最新の知が支えられているという意味だが、ミームとほぼ同義だと思う。

 

「私たちの遺伝子は、私たちに利己的であるよう指図するが、私たちは必ずしも一生涯遺伝子に従うよう強制されているわけではない。―略―あらゆる動物のなかでただ一つ、人間は文化によって、すなわち学習され、伝承された影響によって支配されている」

貴族の子は貴族、鍛冶屋の子は鍛冶屋になるという時代ではないと。

 

「私たちは遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかし私たちには、これらの創造者に刃向かう力がある。この地上で、唯一私たちだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ」

ここ、噛みしめている。

「30周年記念版に寄せて」の中でドーキンスは、W.D.ハミルトンの論文を引用している。

「「もし一つの遺伝子の複製の集合が遺伝子プール全体のなかでより高い割合を形成するようになれば、その遺伝子は自然淘汰において選択される。私たちは、持ち主の社会的行動に影響を与えると想定されるような遺伝子に関心を向けようとしている。そこで、一時的に、遺伝子に知性と一定の選択の自由を持たせることによって、この議論をより生き生きとしたものにするように試みてみよう。ある遺伝子が、自分の複製の数を増やすという問題を考えていると想像してみてほしい。そして、それが何かを選択することができると想像してみてほしい」これこそまさに、『利己的な遺伝子』を読むときの正しい精神である。」

 

♪imagine~♪



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