そしてバスは往く

 

 

セピアカラーの映像。うすぼんやりとした田舎の風景。たんたんとした時間が流れている。

 

主人公は九州の町でバスの運転手をしている。ある日、彼が運転しているバスジャックされる。サラリーマン風の男がいきなり乗客を射殺していく。無表情で殺戮していく、そのサマが恐ろしい。結局、主人公は助かるのだが、PDSD(心的外傷ストレス障害)になり、職場も家庭も放棄して旅に出る。

 

肉体から命がなくなればただのそれは肉となり、物象化してしまう。なぜかジュリアン・シュナベールの肉塊の絵を想像してしまった。

 

やがて生家に戻ってくるが、彼は次男坊。家督は長男が継いでいて、何かと肩身の狭い思いをする。知り合いの工務店で働いてはみるものの、自分の居場所がない。彼は同じバスジャックの被害に遭った、身寄りのない兄妹の家へ押しかける。兄妹は不登校、引きこもり…。やがて兄妹の従兄という若者も加わり、そのまま奇妙な共同生活を始める。

 

その町の近辺で連続殺人事件が起こり、主人公に好意を抱いていた工務店の事務員の女性が殺される。彼は容疑者として詰問される。

 

被害者から一転して被疑者へ。板子一枚下は地獄とでもいうべきなのか。しかし、世間はその両者に対して冷たい目で見る。田舎、都会、拘わらず、違う者はすぐに排除したがる。いつ自分だってそういう境遇になるかもしれないのに。

 

マイクロバスを改造して彼らは旅に出る。だが、漂泊の旅に出たとて、出口は見つからない。そんなことは知っているはず。主人公たちの乗ったバスがミシェル・フーコーの『狂気の歴史』に出てきた阿呆船に思えてならない。阿呆船は、中世ヨーロッパ、狂人や異端者たちを隔離する目的で船に乗せ、河川に流したもの。

 

主人公は小さい頃の夢は、バスの運転手になることだったという。でも、いざなってみたら夢とは違っていたと。夢をもう一度かなえるために、バスで行くあてのない旅に出る。

 

激しくせき込む主人公はラストシーン間近で血を吐く。死をイメージさせる。だが、自ら望んでハンドルを握っての旅には、悔いはしていないだろう。バスに乗っているのは、主人公と女の子の二人。

 

ハッピーエンドやカタルシスともまったく無縁の映画だけど、見終わった後で敬虔な気分にさせ、感慨がじわじと押し寄せてきた。そういえば同監督の回の『私立探偵濱マイク』も、カルト教団をテーマにした、やはり弱者に救済のない社会をテーマにした、ぼやあーとした映像だったっけ。

 

テオ・アンゲロプロスの影響なのだろうか、はたまたヴェンダースなのだろうか。ロングが延々と続くシーンの中で人間たちも風景の中に同化している。3時間を越える長さは、日本の風景の美しさを改めて感じさせてくれた。長尺は必然である。

 

分厚いハードカバーの良質の純文学小説を読み終えた感じに似ている。

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