『火星へ』(上)(下) メアリ・ロビネット・コワル著 酒井昭伸訳を読む。
前作、『宇宙(そら)へ』では巨大隕石の落下により全地球規模で大きなダメージを被る。その打開策として「月面コロニー」計画に着手。そして、本作では次なる計画「火星コロニー」の建設へ。
「レディ・アストロノート」と呼ばれる宇宙飛行士エルマは、月から宇宙ステーション、そこから地球への帰還途中、アクシデントにより「不時着」させられる。
やっと到着かと思ったら何者かに襲われる。「地球ファースト主義過激派」による仕業だった。
彼らと交渉、エルマのみが人質として残ることになる。案じる夫・ナサニエル。
やっと解放され、無事を喜ぶ。宇宙単身赴任が長いエルマもナサニエルも今後は夫婦の生活を望むが。
「火星コロニー」の建設には莫大な資金を必要としていた。また、女性宇宙飛行士が少ない、さらに有色の女性宇宙飛行士が少ないことに抗議の声もあがっている。
反対という世論を懐柔するには、エルマの知名度が不可欠。その一員に選ばれる。
しかし、自分がクルーに加わると押し出される飛行士がいる。それと再び数年間に及ぶ火星での離れ離れの生活。渋るエルマ。悩んだ挙句、引き受ける。
「第一次火星探検隊」のロケットが発射される。「ニーニャ」と「ピンタ」。
隊長のパーカーとはいわば腐れ縁。さまざまな個性とキャリアと国籍のクルーたち。
火星への道行は安穏とはしていない。エルマはまとめ役として骨を折るが。
地球との通信ができなくなったり、火災が起きたり。
さらにトラブルに巻き込まれて死者が出る。
このあたり、冒険譚としても集団ドラマとしても読める。
暗号を使った夫との甘い甘い秘密の手紙もバレてしまう。
ここにも「地球ファースト主義過激派」の影響が及んでいる。
鉄の男・パーカーも身内の不幸を航海中に知り、
茫然自失となる。代わりに指揮をするエルマ。―そして火星へ。
1960年代のコンピュータなのでシステムはパンチカードだったり、
クルーの一人がロバート A.ハインラインの『異星の客』を船内で読んでいたり。
当時の時代設定もバッチリ。
息抜きにデザートや料理にトライしたり。着にくくやたら重たい宇宙服。
無重力状態でのトイレの不始末など、さもありなんことが書かれている。
宇宙船のコックピットの計器類もボタンなどがたくさんあるんだろうなあ。
「各章冒頭の新聞記事」が、作品にリアリティを出している。
エルマとナサニエルの夜のドッキングシーンは、なぜか『釣りバカ日誌』のハマちゃん、みち子さんの合体シーンを想像してしまう。ぼくだけ?