赤貧笑うがごとし

 

 

無能の人つげ義春著を読む。何遍読み直しただろうか。

 

志ん生ではないが、どうしてビンボー話が始まると、居合わせた、たいていの人は、盛り上がるのだろう。たぶん、それはかつてビンボーだったとか、ビンボー的-ここが肝心、ビンボーとビンボー的は一見似ているが、全然違う-なものを好む癖があるようだ。じゃあ、随分前に流行った『清貧の思想』かと言うと、そういう高尚なものじゃなくて、ひたすらゲスなもの、ゲスであればあるほど、あさましくて笑える。

 

たとえば給料日前、なけなしの一万円を倍にしようと、勇んでパチンコ屋へ行って、ものの見事にすってんてんになるとか(実話)。京都土産でもらった生八つ橋のアンが酸っぱくなっているのに、空腹に負けて晩飯がわりに平らげてしまい、激しい下痢になり医者通いするはめになり、結局高くついたとか(半分実話)。人間も植物みたいに光合成が可能だったら、食費がかからなくていいなあとかとか。

 

仕事の注文がない時や、予想外に稿料が安かったりして、気分が憂鬱になる時は、本棚の奥に仕舞ってあるつげ義春の漫画本を取り出して読む。


初期作品集や温泉探訪物も良いが、最も愛読しているのが本作だ。題名からしてまるで自分のことを言われているようだ。

 

ストーリーを一応紹介しておくと、つげファンならおなじみの売れない漫画家が主人公。でも本人曰く「描けないのではない、描かないのだ」と。多摩川べりの公団に住んでいて、ある日、多摩川にそれこそ無尽蔵にタダで転がっている石を拾って売る商売、石屋を考えつく。そこから探石というきわめてマニアックな世界が描かれている。

 

いままで骨董商売、中古カメラなどに手をしては結局、失敗していた漫画家に対して妻はいい顔をするわけもない。団地のポスティング(チラシ投函)や新聞配達などで糊口をしのいでいる妻からすれば、「漫画、描いて」と懇願するのは、至極当然なわけで。
ま、とても他人事とは思えないわけで。

 

「ねえ。お金にもならないレビューを書いている暇があるなら、知り合いのデザイン会社に営業の電話の一本でもいれてよ」
「はいはい…でも今はズーム営業だしなあ」。いざ外回りに行っても、ムダ足に終わる今日このごろ。でも、帰りにブロック塀に座っている見知らぬキジトラ猫に
声でもかけられれば、幸せになってしまう。

 

川崎長太郎葛西善蔵上林暁など日本の私小説家の作品を彷彿とさせる作風だが、中でも好きなキャラは野鳥を捕らえて碌を食む鳥師で、映画版『無能の人』では、故神代辰巳監督が演じていたが、そこだけフェリーニのモノクロ映画っぽくて、すごおくカッコ良かった。神代辰巳週間とかで特集を組む時は、ぜひ、その鳥師に扮したワンカットをポスターにしてもらいたい。

 

あと、捨て難いのは、古本屋の山井。古本屋の未亡人とねんごろの仲になり、そのまま居着いてしまうというインチキ臭い男のエピソードも泣かせる。作者自身も、喫茶店古書店経営などの小商いを考えていたそうだ。などが述べられている巻末インタビュー『乞食論』は、いわばメーキング・オブ・つげ漫画として必読である。

 

本作は新潮文庫筑摩書房の『つげ義春全集』で読めるが、ぜひ、オリジナルの日本文芸社版を入手されて読むことをおすすめする。

 

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