チベット史が学べる、でも、活劇としても読める。不謹慎かもしれないが

 

 

『白い鶴よ、翼を貸しておくれ-チベットの愛と戦いの物語-』ツェワン・イシェ・ペンバ著 星泉訳を読む。

 

1925年、新婚ほやほやのアメリカ人宣教師スティーブンス夫妻が、はるばるチベット・ニャロンに来る。この地でキリスト教の布教をするために。チベット仏教の高僧・リンポチェにも面会する。意外なことにもキリスト教に理解もあって、教会建設は認められる。医療の心得があった宣教師は、住民の難産を助けて人々に一目置かれるようになる。しかし信者は思うようには増えない。

 

まもなく彼らに息子・ポールが生まれる。ポールと領主の息子・テンガは同世代。時には仲良く、時には喧嘩しながら友情を育んでいく。話は彼らの成長物語へ。


しかし、時代は次第にキナ臭くなる。日中戦争が始まる。最初は劣勢だった蔣介石率いる中国軍はやがて巻き返す。第二次世界大戦で日本が敗戦すると、次は中華民国中国共産党が覇権争いをはじめ、中国共産党が勝利する。


中国共産党は、チベット解放という名目でチベット併合にかかる。チベット独立が悲願だった人々は抵抗する。ポールは両親がアメリカへ帰国したが、単身居残ってテンガたちと闘う。結局、キリスト教信者を増やすことはできなかったが、宣教師夫妻はチベットに根を下ろすことができた。

 

中国の若手医師団が受けた教育の一部を引用。

「医師たちはチベット入りする前にしっかりと教育を受けてきていた。―略―この地区にはチベット族という未開の少数民族がいる。大半が農奴で、英領インド及びアメリカの帝国主義と結託した貴族による土地所有と僧院による封建制度に支えられた政府の支配下にある。―略―さらにはチベット人が世界的に見ても最も性に奔放な民族の一つであるがゆえに蔓延している性病も、事態をさらに悪化させている。文明化した近代社会は彼らに対して「世界で最も不衛生で汚らわしい人びと」という好ましくない称号を与えた」

ああ、まさに『不寛容論-アメリカが生んだ「共存」の哲学-』森本あんり著とかぶる。中国共産党チベットに対して「寛容の強制」をした。チベットだけではない。新彊ウィグル自治区、香港、台湾。同じ図式。

 

チベット僧兵やポールら戦士は勇猛果敢で個人的なフィジカルは百戦錬磨の中国共産党の兵士たちを上回っていたようだ。しかし有効射程距離ではかなわないマシンガンなど最新鋭の武器を有した中国共産党軍は質量ともに圧倒する。

 

中国共産党は宗教を認めない。僧侶を認めない。高僧や僧侶に対して取った策が卑劣。飲料や食料を与えない。さらにトイレに行かせない。我慢できなくなった僧侶たちは、我慢できなくなって糞尿を垂れ流しにする。聖なる空間で。自尊心やプライドを喪失させる。

 

ポールは母国アメリカの救助でインドに亡命した恋人とともに泣く泣く帰国する。
チベットで生まれ育った彼にとって母国はアメリカではなくチベットなのだろう。
再びチベットのために戻ろうとする。

 

チベット史が学べる、活劇としても読める。不謹慎かもしれないが。NHK大河ドラマのような趣きのある作品。漫画化するなら、これはもう安彦良和にお願いしたい。

 

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