「評価しないけど受け入れる」「嫌いだけれど共存する」―ロジャー・ウィリアムズに学ぶ

 

 

『不寛容論-アメリカが生んだ「共存」の哲学-』森本あんり著を読む。

 

イギリスから新天地アメリカへ渡ったピューリタンアメリカを建国した。
歴史の時間で学んだ。作者はこう述べている。

 

「彼らは、自分たちの自由を求めて移住した。旧世界で不寛容と迫害に苦しめられたからこそ脱出したのだが、その彼らが新世界で作ろうとした社会にも、意見の違う人は少数ながら必ず出てくる。すると彼らは、さんざん自分たちが苦しめられてきたはずの不寛容を、今度はその少数者に向けて迫害するようになった。実に皮肉で残念な事実である」

「不寛容を非難して「寛容になれ」と言うことは、寛容の押しつけになってしまうだろう」すなわち「寛容の強制」だと。

「一般に西洋近代の価値観の中では、寛容であることは「よいこと」だろう」

あなたが「寛容な人だ」と言われれば悪い気はしないだろう。
ところが、
「そういう価値観を簡単に共有しない文化もある」

「寛容と不寛容のせめぎ合い」地獄から逃れるには「不寛容の理解」が大事だと。

 

「「アメリカの原罪」と言われる先住民排除の問題」もその一つ。
「この問題と正面から向き合った」のが、ロジャー・ウィリアムズ。
ぼくはまったく知らなかった人。
この本ではかなりの紙幅を割いて取り上げている。

 

イギリスでは高名な神学者だった「ウィリアムズは渡航後」、牧師の「招聘を断ってしまう」。彼は「英国教会の腐敗」「植民地政府の不寛容な決まりにも異議を唱えた」。さらに「先住民族の権利を主張した」。


その真意を受け止められる人は恐らく皆無に近かっただろう。
危険思想の持主と見なされて彼は「マサチューセッツからの退去」を命じられる。

 

ウィリアムズを追放したのは「論敵」ジョン・コトン。コトンとの文章による激しいバトルは、平行線のまま。

 

ウィリアムズは単身で先住民との交流を行い「彼らの土地を譲り受け」定住する。
この地が「プロヴィデンス拓植地」、「現ロードアイランド州」を建国する。
そこでは「政教分離と信仰の自由」と「先住民との交流・共存」を理念とした。

 

中でも「信仰の自由」は多くの人を魅了したが、実際に州づくりを行ってみると、問題が山積。異論や反論もある。事態を進展するにたね、ウィリアムズには妥協が求められる。意見を無視して推し進めたい。でも、それでは不寛容の再現となる。

 

では、どう接していたのか。

「ウィリアムズは一貫して「評価しないけど受け入れる」「嫌いだけれど共存する」という態度だった」

 

文化多様性が大事といわれている。一方でナショナリズムの復活ともいわれる。

「評価しないけど受け入れる」「嫌いだけれど共存する」、これができるかどうか。
政治家だけじゃなくてあなたにも私にも、だ。


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