「B級エンタテイメントとしての推理小説のパロディ」少しは期待したのだが…

 

 

 

アラン・ロブ=グリエの『反復』、読み終える。
訳者の平岡篤頼があとがきでロブ=グリエと食わず嫌いせずに、
深読みしたり、構えずに、ミステリー(ただしオチのない、謎解きのない)として
読んでほしいと述べている。
ええと訳者曰く「B級エンタテイメントとしての推理小説のパロディ」か。

 

「私」が空間軸と時間軸が取り払われた迷路でさまようさま。そのリフレイン。
まさに、ロブ=グリエ。

 

ヌーヴォーロマンとかアンチロマンとか
ブームの去った後に、読み出した。
当時の文学少年・少女の通過儀礼みたいなものだったのだろうか。

ナタリー・サロート、サミュエル・ベケット(不条理ギャグの部分 ベケットはヌーヴォーロマンではないが)、ミシェル・ビュトール、初期のフィリップ・ソレルス
ル・クレジオ(彼がこの範疇に括れるかどうかさだかではないが)は読めた。
あとは、誘惑されなかった。

 

アラン・ロブ=グリエの『嫉妬』は読んだはず。読了したかどうかは忘れたが。
『消しゴム』はすでに絶版で、神保町の古本屋で高値で売られていた。
(付記-1 中条省平の新訳で光文社古典新訳文庫から出ている )

 

彼が脚本を書いた『去年マリエンバートで』は、映像を見る映画だった
(これって、誉めてないとき、使う言い回し)。
それはそれで面白かったが、カメラがやたら回転して、
ちょっと船酔い状態になった。
そのあと、随分、それをパクったようなTVCMを見かけた。

 

『反復』は、キルケゴールの作品から引用したもの。
なぜか最近読む本でキルケゴールの名前をよく見かける。

かつてキルケゴールのゼミを履修していた身としては、
実存哲学の先がけよりも、現代人のはしりみたいに、
キルケゴールをとらえ直してみてはと思う。
いまの日本人の精神構造なら、よくわかるんじゃないかな。
(付記-2 草食系男子の草分けだし)

 

ポール・オースターを読んだとき、
ヌーヴォーロマンの進化系なのかなと感じたが、
こちらは興味深く読めた。

 

最後まで読んだ。読みやすい翻訳だ。でも、やっぱり、誘惑されなかった。
少しは期待したけど、反(アンチ)文学ならぬ半(ハーフ)文学。
クリープを入れないコーヒーのようだ。って中高年限定でウケる言い回し?
これなら本職のミステリー作家の作品を読んだ方がよっぽど、面白いや。

 

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