きっかけは、テレビ東京で夜中に放映していた『新世紀エヴァンゲリヲン』。
再放送か再々放送を録画で一気に見た。はまった。
もういい年齢だったのに、なんじゃこりゃ。なんじゃこの話は。
すっげえ風呂敷の広げ方。と、すっかり庵野マジックにかかってしまった。
当時の『Quick Japan』が続けてエヴァの特集をしていた。
読めば少しはわかるかなと思ったが、
わかったようなわからなかったような。
いま思うと『クトゥルフ神話』の存在のような。
劇場版『序』『破』『Q』は、かなり遅れてネット動画で見た。
主人公・碇シンジの壊れっぷり。
その合間に庵野監督の映画『ラブ&ポップ』を見た。
援助交際した女子高生たちが小汚い渋谷川を
『あの素晴らしい愛をもう一度』を歌いながら歩くシーンが印象的だった。
実写映画でもアニメと変わらない世界を撮るんだなと思った。
さほど期待しないで見に行った『シン・ゴジラ』。
まとまっていなくても、どぎもぬく映像やストーリーが楽しめれば良しと思っていた。
そしたら、ゴジラ映画のお約束を踏まえてきちんとエンタメ系に完結しているので正直驚いた。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。
SNSやラジオ番組で評判が良く、見に行った。
ディトピアの世界を描く映像に圧倒された。
ハイテクとローテク、最先端の建物と廃墟が並列している空間。
共同体の再生、村での農作業。
田植えする綾波レイ(仮)。抜け殻のままのシンジ。
心の病のリハビリテーションに農作業は有効なのだが。
斎藤環は『承認をめぐる病』でシンジ以下エヴァのパイロットたちに共通しているのは
「承認欲求」だと述べている。
認められることでセルフアイデンティティを確認するのだろう。
エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-|斎藤環(精神科医)|note
NERV(ネルフ)は碇ゲンドウ、冬月コウゾウの旧態然としたオヤジ軍団。
NERV(ネルフ)と袂を分かったWILLE(ヴィレ)は、葛城ミサト、赤木リツコの2トップ。
この対決はある種の世代間抗争であり、フェミニズム運動ではないだろか。
エヴァに乗った式波・アスカ・ラングレーと真希波・マリ・イラストリアスのバトルシーン。バディ感つーかシスターフッド感にあふれていた。
目まぐるしいPAN。よくわからないがスピード感は感じる。
エロ動画みたいななめるようなアングル。エロカッコイイ。
延々と続くCGシーンは、未知の世界を視覚化したもの。サイケデリックで神々しさを感じる。見ながらトリップしたような感じ。
永遠の中二病から脱け出したシンジは父親との長い相克にケリをつける。
アニメ映画や漫画には詳しくないのだが、
たぶん庵野の好きなものやリスペクトやオマージュがすべてぶち込んであるのだろう。
ラストカットで庵野の郷里の駅が実写で映される。
そこに現われるシンジとマリ。
庵野秀明の私情と詩情の映画だった。センチメンタルジャーニー。
碇ゲンドウは映画監督としての庵野、碇シンジは少年としての庵野、綾波レイは少女としての庵野。
鷺巣詩郎の音楽も素晴らしかった。
広げられたとてつもなく大きな風呂敷。広げるだけ広げられて、たぶんたたまれないだろうと思っていた。ところが、見事なまでにたたまれた。