以下引用。
「それぞれの言語が、一つひとつの言葉を具体的な媒体として姿を現わす。このときその言語自体が「伝わる(ジヒ・ミットタイレン)―この言い方はドイツ語では、同時に心中を打ち明けることも表わしている―のだが、こうして具体的な言語が「媒体」として生じる出来事を、ベンヤミンは、言語学で言う動詞の中動態になぞらえている」」
中動態に関してはこのエントリーを参照されたし。
「「遠さが一回的にあらわれること」と定義」されている。
オリジナル、本物、生とか。
それが「技術的複製可能性の時代」。
コピー、レプリカとか。
ファシズムのまっただ中、人生を送った。
「ファシズムの本質は、人々の剥き出しの生を、相互監視を含んだ情報技術を駆使して一つに束ね、「われわれ」の他者を排斥しつつ支配圏を拡大しようとする政治的意図のために動員するところにある。―略―ベンヤミンは、そのありさまを見据えていた」
ナチスドイツから追われていたベンヤミンは、
当時パリ国立図書館で司書をしていたバタイユに著作の一切を預ける。
万が一紛失や追っ手に入手されたりしていたら、
後年、ぼくたちは彼の批評を読むことができない。
ベンヤミン好きなら周知のことだが。
真夜中のエンジェル・ベイビーは、平山三紀の名曲。
そこから拝借したもの。
そこから拝借したもの。