『JR』ウィリアム・ギャディス著 木原善彦訳を読んだ。
〇会話と地の文で小説のスタイルは成り立っている。
〇小説とはプロットやストーリーを書くものだ、読むものだ。
この2点をいつの間にか刷り込まれて小説を読んでいる。
でも、これは違う。
昔流行った言い回しで言うなら小説の脱構築。
延々と会話のみが続く。
最初、戸惑う。
でも、なれるとなんだかいけない話を盗み聞き(盗み読み)している気分になる。
地の文をとっぱらったことで
状況や関係性はわかりにくいが、
読むスピードが生まれる。
主人公は11歳のいわば天才トレーダー。わずかな金額ではじめた株式投資が
雪だるま式に資産が増える。
地道な情報収集。独自のカンで会社はM&Aを次々と仕掛けて
グループ企業として急成長する。
しかし、グループ企業は崩壊する。
メインのストーリーはこのようなものなのだが、
実際、登場するのは主人公ではなく、その周辺の人たち。
俗物だらけ。良く言えば人間くさい。非草食人間系。
サブキャラとサブストーリーが巧妙に絡み合う。
アート、音楽、ビジネス、経済、要するに金。
金へのフェティシズム、 拝金主義。
全体小説という言い方が正しいかは自信はないが、
作者の企んだ底なし沼のような世界にずぶずぶと入り込んでいく。
ふと、引用だらけのゴダールの映画を想起した。
子どもたちに人気のプレイスポットの一つがキッザニアだ。
さまざまな職業が体験できるというのが魅力らしい。
主人公JR.バンサント君は子どもだましと思うかも。
株式投資は未成年はダメなのかなとネット検索したら
「親の同意が得られれば、口座が開設できる」ようだ。
いまならPCかスマートフォンで仮想通貨をトレード。
ICO、クラウドファンディングなどで大儲け。
そこに目をつけた反社会的勢力の面々。
ベンチャー企業の若手経営者。
パリピなどなど。
マネーロンダリングとかの生ぐさい話も。
訳者あとがきで殊能将之が原著を読んで
高評価していたことを知る。
存命だったら
日本語訳の『JR』をどう評価したのだろうか。
カバーにあしらわれた「JR社ファミリー」のロゴタイプ。
金色と書体がおシャレ。