なかった

走れ、オヤジ殿 (韓国文学のオクリモノ)

走れ、オヤジ殿 (韓国文学のオクリモノ)

 

雨上がり、蒸し暑い中、
岩波新書中公新書の6月新刊を買おうと
最寄りの書店に行ったら岩波新書がなかった。
岩波は買取りだから置かないのか。
街の書店じゃ需要がないのか。
だから、ネット書店に頼るのか。

『走れ、オヤジ殿』キム・エラン著 古川綾子訳を読む。
重たいことを軽く書く才能。
あるあるネタを文学にまで煮詰める才能。

『走れ、オヤジ殿』は、妊娠中に逃げたまま、
行方不明となった父親のその後と残された母親と息子。
父親のエゴイズムを非難することもなく
たんたんと話は展開する。
生まれてくる子どもをちゃんと一人前になるまで育てられるか。
男にとっちゃプレッシャー。

『コンビニへ行く』は、村田沙耶香の『コンビニ人間』など
コンビニ文学でアンソロジーを出してほしいくらい。
もっとも村田の方は店員側、こちらは客側と立場は異なる。
昔、コンビニのTVCM企画で
コンビニは街の灯台というのを考えたことがある。
パンや弁当を買う。コーヒーや水やビールを買う。
現金をおろす。税金を払う。
新聞や雑誌を買う。万引きに来る。強奪に来る。

『紙の魚』は「ウンコ坂」で生まれた若者が
兵役を終え短大に通い、漠然と小説家を志す。
借りた部屋の壁の一面には好きな気にいった引用文を抜き書きして
ポストイットする。
もう一面には自分のことを書いてポストイットする。
壁はポストイットだらけとなる。
それが集合して魚のように動き出すイメージ。

北野勇作あたりが好きな人に。

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