2011-03-12 荒浜
「時事ドットコム:津波来ても逃げ場なく=被害甚大の仙台・荒浜地区多数の遺体が見つかった仙台市若林区荒浜地区は太平洋に面し、深沼海水浴場は市内唯一の海水浴場としてにぎわいを見せる。海岸近くまで民家が建ち、堤防は低い上、高台などはなく、津波が来ても逃げ場のない場所だ。
仙台市は地形上、西部の山沿い(奥羽山脈側)と東部の仙台平野地域(太平洋側)に分けられる。東部は宮城野区、若林区と青葉区東部、太白区東部で、中心部も含まれる。市内を主に七北田川、広瀬川、名取川の3河川が西から東に流れている。市東部は、海岸線から低い平野が広がり、中でも市内を南北に走る国道4号から東は住宅地、工業地域のほか水田も多い軟弱な地盤。若林区では、津波や高波などの災害に備え、海岸に海面状況を監視するライブカメラを設置していた。(2011/03/12-00:23)」
荒浜へは子どもが小さいときに義兄に海水浴に連れて行ってもらった。太平洋だから波が高かったのを覚えている。
不細工に並んだテトラポッドに波頭が白く砕けていたのを覚えている。
あれから都市化が進み、民家も随分と増えたのだろう。
幸いにも義兄一家は、ケガもなかったようだ。
ただし、家の中はすさまじく、クルマで一晩過ごしたそうだ。
電気もまだだとか。
わが家は食器棚がやられた。妻が大切にしていたウェッジウッドやスポードがこっぱみじん。なぜか安い皿やおまけのカップなどが無傷だったりする。
乱雑に積んであった本や紙はもちろん落ちたが、そんなでもなかった。
ネコがパニック障害になって夜から朝まで瞳孔が開いた状態でうろうろ。
挙動不審。
偶然、母が再検査入院の日で、実家もダメージを受けたと妹からの連絡。家電で。
父は妹宅へ非難。姪のクルマが倒壊した塀でぺしゃんこになったようだ。
ケータイは役に立たず。妻とはPCとのメールでやりとり。
渋谷から5~6kmの距離なのに、バスと電車で乗り継いで5~6時間かかった。
ぼくなら歩いて帰ろうを歌って帰るんだけど。
TVとTwitterとネットでさまざまな情報を知る。
こういうとき、Twitterはありがたい。
晩飯の弁当を買いに近所のスーパーマーケットまで行く。
臨時バスから降りて246を黙々と歩く集団と出会う。
日本人の無言の統率力。
あれから7年。母も父も猫もいなくなった。
復興とは元の状態になることだけじゃないと思う。
第二次世界大戦、空襲で壊滅したドレスデン。
人々は石のかけらを拾い集めて
元の街並みに再現したそうだが。