選択から一択へ

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

 

『選択しないという選択』キャス・サンスティーン著を読む。
「デフォルト」について書かれた本。

わかる、わからんね。
ビッグデータの時代とかで
ネットショッピングなどの購買履歴や
twitterなどのツィートなどから
その人の趣味・趣向がわかってしまって
「デフォルト」が可能になったと。
ふさわしい日本語が見当たらないが、
要するに最初から最適解が提示できるようになったと。
最適な食べ物、飲料、家電。
政党、テレビ番組、映画、音楽、ファッション、
ペット、性行為などなど。

「選択する自由」、「職業選択の自由」とか言うけど、
行動経済学に興味のある人なら、
人は選択肢を与えすぐると選べなくなるそうだ。
カラバリが多すぎると困ってしまう。
松竹梅など三択がいいあんばいらしくい。
とはいえ、「デフォルト」。いきなり、イチオシ。
これでしょ、これっきゃない。
それはどうなのよと検証している。
押し売りと感じるのか、親切と感じるのか。
ぼくはへそ曲がりだから、
当たっていたとしてもOKとはしないだろう。

選ばないと選べないとでは意味合いが違うが、
結局は選択拒否という行為では同じなわけで。

「デフォルト」は、政治・経済から広範な分野を串刺しできる
便利なものさしだ。

確かに一択という日本語は変だ。
でも、「デフォルト」って一択のことなんだよな。
選択や思考などのショートカットと言えなくもないが、
大きなお世話感は拭えない。
個人的な感想です。
デフォと言うらしいが、なんかアフォに似ている。
次、いってみよう。

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